「銀の馬車道・鉱石の道」は、兵庫県の中央部、播但地域を、兵庫県養父市の中瀬、明延、神子畑(みこばた)、生野から神河、市川、福崎を通って姫路の飾磨港に続く南北73kmの道です。日本の近代化を支えた金・銀をはじめとする様々な鉱物を豊富に産出した鉱山から、それらを搬出する港、飾磨港へと続く輸送路として重要な役割を果たしました。

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

上の図で中瀬鉱山から生野銀山まで続いている緑の道が「鉱石の道」(約24km)、生野から飾磨津まで続く赤い道が「銀の馬車道」(約49km)です。近代における日本の産業に多大な貢献をした2つの道は、平成29年(2017年)「但馬貫く、銀の馬車道・鉱石の道」として日本遺産に登録されました。

「鉱石の道」の詳細に関しては別の機会に譲り、今回は「銀の馬車道」に関して、現在に残された痕跡を探りながらご説明して行きたいと思います。

目次
「銀の馬車道」の基礎知識
銀の馬車道を巡る
銀の馬車道周辺のグルメ
まとめ

「銀の馬車道」の基礎知識

明延鉱山、神子畑鉱山、生野鉱山は、日本の近代化を支えた鉱山で、これらは鉱石輸送用の専用道路などでつながれ、鉱石や人・物資が運ばれていました。この後、産出した鉱石を生野から飾磨津へ運び出すために、日本初の高速産業道路といわれる「銀の馬車道(正式名:生野鉱山寮馬車道)」が、フランス人技師の指導の下、明治9年に生野鉱山から飾磨港(現姫路港)の間、約4kmを結ぶ馬車道専用道路として整備されました。

多くの鉱山が深い山の中にあるのに比べ、生野銀山は城下町姫路や飾磨津という流通拠点に近く、市川沿いの低地にあり、地理的に恵まれていました。しかし、生野から姫路への道は、細く曲がりくねった街道のみで、人馬か市川の小さな高瀬舟に頼るしかなく、鉱物の他、掘削機材の運搬に支障があり、新しい輸送手段が必要でした。

そこで3つの案が検討されました。

  1. 市川の水運⇒川の拡幅工事に莫大な費用が必要
  2. 鉄道敷設⇒輸送量の割に莫大なコストがかかる
  3. 馬車道建設⇒昔からの道路をベースに最新式の道路に改修、コストは安く馬車で大量にものを運べる

1873年(明治6年)7月、生野鉱山長だった朝倉盛明とフランス人鉱山師レオン・シスレーを技師長として、馬車道の工事が始まりました。道路を水田より60cm高くし、あら石、小石、玉砂利の順に敷き詰めるヨーロッパ式の土木技術「マカダム式」を導入して、馬車がスムーズに走行できるように、雨などの天候に左右されない排水性の高い堅固な道に作り替える工事が3年がかりで行われ、1876年(明治9年)に「日本初の高速産業道路」と言うべき「銀の馬車道」が完成しました。現在の価値に換算して、約35億円の経費を要しました。

その後、銀の馬車道は1895年(明治28年)に、姫路-生野間に播但鉄道が開通、生野銀山から飾磨津が鉄道でつながれ、徐々にその役割を終え、1920年(大正9年)に廃止されました。開通から44年にわたり重要な輸送路としての役割を果たしました。廃止後も、経路変更やアスファルト舗装への改修がなされ、今でもその大部分が利用されています。

「銀の馬車道」を巡る

それでは、現在に残る「銀の馬車道」の痕跡を、そのスタート地点である生野の口銀谷(くちがなや)から探って行きましょう。

生野銀山「口銀谷(くちがなや)」

生野銀山を管理する役所が置かれ、商人が多く住んだ、生野銀山の城下町とも言われているのが「口銀谷(くちがなや)」です。口銀谷とは鉱山の入口を意味する言葉です。

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

口銀谷にある「姫宮神社」へと渡る橋の上からの風景です。今でも、トロッコの軌道やアーチ型の石積みが残されています。大正9年に馬車軌道から電気軌道に変わりました。

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

軌道の向こうに見えているのは「口銀谷銀山町ミュージアムセンター」です。

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(画像=『たびこふれ』より 引用)

「口銀谷銀山町ミュージアムセンター」は、昭和7年に建てられた浅田養蔵邸と明治時代中期に建てられた吉川増太郎邸を修築、保存したもので、内部の見学も可能です。

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(画像=『たびこふれ』より 引用)

カラミ石の井戸が残されています。カラミ石とは、鉱物を精錬した時に出る廃棄物をブロック状に固めたものです。明治中期に多く製造され、今でも町の様々な場所で目にします。

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)
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(画像=『たびこふれ』より 引用)

吉川増太郎邸の様子です。建物は明治期のものですが、古いテレビや扇風機が置かれ昭和の雰囲気です。

【口銀谷銀山町ミュージアムセンター】

住所:兵庫県朝来市生野町口銀谷619-2
営業時間:9:00~17:00 (入館は16:30まで)
定休日:月曜日 (月曜日が祝日の場合翌日の火曜日)・年末年始
入館料:無料

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)
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(画像=『たびこふれ』より 引用)

口銀谷銀山町ミュージアムセンターの向かいにあるこの建物は宿郷「井筒屋」だったもので「生野まちづくり工房井筒屋」として保存されています。建物の内部を見学できる他、蔵が展示スペースとして活用されており、宿郷を運営していた吉川家に伝わる貴重な品々を展示しています。

なお、宿郷とは、口銀谷の役所に用があって訪れた人々のための宿で、宿郷の主人は代官所への訴状の代筆や出頭時の付き添いなども行い弁護士のような役目を担っていました。

【生野まちづくり工房 井筒屋】

住所:兵庫県朝来市生野町口銀谷640
営業時間:9:00~17:00 
定休日:月曜日 (月曜日が祝日の場合翌日の火曜日)・年末年始
入館料:無料

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)
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(画像=『たびこふれ』より 引用)

「生野書院」は、大正期の材木商邸宅を改修し、入口には明治初期に鉱山長を務めた朝倉盛明氏の官舎正門を移設した、旧家の面影を残す資料館です。館内には、古文書や書画などの文化財をはじめ、生野町絵図や銀山旧記などを展示する展示室と蔵展示室があります。材木商の邸宅であった建物の内部も見学することもできます。

【生野書院】

住所:兵庫県朝来市生野町口銀谷356-1
営業時間:9:00~16:30 
定休日:月曜日 (月曜日が祝日の場合翌日の火曜日)・12/28-1/4
入館料:無料

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

明治19年(1886年)旧豊岡警察署生野分署庁舎として建てられたもので、地元の大工棟梁が西洋建築を学んで建設しました。その後、幼稚園や公民館として利用されてきました。見学は外観のみで、内部は見られません。口銀谷を散歩していると、数々の古い建物を目にします。銀の馬車道が現役だった明治・大正から鉄道が開通した昭和への歩みを感じながら、ぜひゆっくりと散策してみてください。

現存する銀の馬車道跡

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)
【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

神河町には、全長49kmにわたる「銀の馬車道」の約10kmが通っていました。その中で、吉富畑川原には、マカダム式舗装がほどこされた、当時のままの状態で残されている一画があり「現存する『銀の馬車道』」として大切に保存されています。馬車のオブジェが設置され、周辺には桜の木が植えられています。

【現存する銀の馬車道】

住所:神河町吉富畑川原
見学自由

粟賀の街並みと銀の馬車道交流館

神河町の中村地区に、銀の馬車道が通っていた道が石畳の散歩道として整備されいる一画があります。ここには、街道沿いにあった旧家が残されおり、銀の馬車道が現役だったころの面影を感じることができます。

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(画像=『たびこふれ』より 引用)

竹内家住宅は、古くから地域の盟主として旧粟賀村で造り醤油・酒屋を営んでいた竹内氏の邸宅で、天保12年(1841年)の粟賀大火で一部を残し全焼、その後生野鉱山の山師の家を移築したものが現存する建物と伝えられています。竹内氏は、一帯のお茶問屋としての役割も担っていました。建物は、現在も住宅として使用されており、見学は外観のみです。

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(画像=『たびこふれ』より 引用)

粟賀の驛(うまや)は、明治後期から大正初期の建築と思われる古民家を改装したもので、地域の交流施設として利用されています。

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(画像=『たびこふれ』より 引用)

大橋(観音橋)は、かつて20mほど上流にあった大橋(法楽寺の参道にあったことから観音橋とも呼ばれました)が明治初期に補強され「銀の馬車道」が開通しました。その後、明治36年(1903年)に現在のルートに変更となり、木橋が架けられ、昭和に入ってコンクリート橋として整備されました。写真は、左が道標、右が石碑です。

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)
【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

「銀の馬車道交流館」は、銀の馬車道に関する資料の他、神河町の歴史や文化に関する資料なども展示しています。マカダム式舗装のわかりやすい立体模型も見られます。各種パンフレットなども揃っており、町歩きの途中に是非立ち寄っていただきたい施設です。

【銀の馬車道交流館】

住所:兵庫県神崎郡神河町中村78
営業時間:10:00~15:00 
定休日:火・水曜日・年末年始
入館料:無料

屋形の街並み

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

生野口銀谷から神河町を抜け、銀の馬車道は市川町に入って行きます。市川屋形地区は、市川の水運の終点にあたり、明治初期までは旅館や茶屋が並ぶ宿場町でした。町内を真っすぐな道が貫き、その周辺には古い土塀や蔵などが散見され、銀の馬車道が通っていたことを実感することができます。

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

屋形地区から車で10分ほどの国道312号線沿いに、銀の馬車道キャラクター「ハヤブ」の象が設置されています。御者台に乗って記念撮影することもでき、夜はライトアップされます。

辻川界隈

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(画像=『たびこふれ』より 引用)

柳田国男が生まれ育った福崎町の辻川界隈は、銀の馬車道の道筋でもありました。石畳の道が整備され、古い建物もいくつか残っています。近くには、河童のガジロウが出現する辻川山公園もあります。

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

旧辻川郵便局は大正12年(1923年)ごろ、銀の馬車道沿いに建設されました。昭和31年に「福崎郵便局」と改称し、昭和35年まで利用されました。その後、昭和42年まで電話交換業務が行われました。平成27年に所有者である三木素位氏より福崎町が譲り受け、三木市住宅の西隣から現在の場所に移築されました。現在1階はカフェ、2階は宿泊施設として利用されています。

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)
【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)
【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

兵庫県指定重要有形文化財「大庄屋三木家住宅」です。建物全体の内、主屋は保存、公開されており、この部分は宝永2年(1705年)に建てられたことがわかっています。その他、副屋・離れ・内倉・酒蔵などは、旧郵便局の2階と併せて宿泊施設「NIPPONIA 播磨福崎 蔵書の館」として活用されています。

三木家は、江戸時代に「飾磨津屋」と称する酒屋を営んでおり、代々姫路藩の大庄屋を務め地域の発展に貢献しました。

【大庄屋三木家住宅】

住所:兵庫県神崎郡福崎町西田原1106
営業時間:9:00~16:30(入館は16:00まで) 
公開日:土・日曜日・祝日 秋季公開11/1-30(月曜・祝日の翌日は閉館)
入館料:無料

銀の馬車道修築碑ミニパーク

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)
【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

銀の馬車道を整えるにあたり、特に難関だったのが大小あわせて20を超える橋の架設です。最長は、姫路市内の薮田村から砥堀村に渡る93間(約167m)の薮田橋で、この橋は馬車道竣工に際し「生野橋」と名を改められ、橋のたもとには「馬車道修築」の碑が建てられました。発着地の生野銀山や飾磨津(現姫路港)でない地に碑が置かれたのは、ここが最も難工事だったからだと言われています。

碑には、馬車道建設を任された朝倉盛明により、様々な困難を乗り越え、フランスから大型機械を導入するなどして、日本においては未曽有の工事を成し遂げ、官物を運搬する費用の6割から7割を省けるようになり、大きな利益を生んだことなどが記されている。

【銀の馬車道修築碑ミニパーク】

住所:姫路市戸堀(JR戸堀駅より約1km)
営業時間:見学自由

姫路みなとミュージアム

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(画像=『たびこふれ』より 引用)

姫路港にある、姫路ポートセンタービルの2階にある「海・みなと・銀の馬車道」をテーマとしたミュージアムです。姫路港についての詳しいパネル展示や銀の馬車道の大型地図などがあります。

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)
【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

姫路港が見渡せる、休憩スペースもあります。

【姫路みなとミュージアム】

住所:姫路市飾磨区須賀294番地(姫路ポートセンター2階)
営業時間:10:00~16:00 
定休日:火曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日から1月5日
入館料:無料

飾磨津仏揚げ場跡

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

明治期より飾磨津にはレンガ建造物が多く建設され、馬車道のたたずまいが長く引き継がれてきました。平成29年、銀の馬車道の日本遺産登録を記念して、明治20年代後半のレンガ建築の一部をモニュメントとして残すことになり、この場所に保存されています。

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

レンガのモニュメントの横には、浅田貞次郎の像が置かれています。昭和10年からこの地にあったものです。浅田貞次郎は、福本藩から代々生野代官所に使えた浅田家の養子となり、以降生野鉱山の発展に力を注ぎ、播但鉄道の発起人や生野銀行の創設頭取を務めました。浅田工業化学創始者。

【飾磨津物揚場跡周辺に残るレンガ建造物】

住所:兵庫県姫路市飾磨区宮(浅田工業化学前の路地にあります)
見学自由

【兵庫県・中播磨】資源大国日本を支えた道 日本遺産「銀の馬車道」を巡る
(画像=『たびこふれ』より 引用)

レンガのモニュメントからすぐの野田川沿いに飾磨津物揚場跡が見えます。写真の向かって右手に写っている建物です。近くには行けませんし、ちょこっと見えるだけですが、ここが銀の馬車道の発着点と思うと感慨深いものがあります。