方言は薄くなってもなくなることはない

私は地方文化の専門知識がない門外漢ですから、えらそうなことや説得力のある話は出来ません。しかし、あえて個人的な意見を言わせてもらうならば、方言は必要であり、また必要であるから残ってきてそれはこれからも続くと思います。

過去に私は北海道の友人に「すごく寒い」と言うつもりで、「今日はしばれるなあ」と冗談で言ったところ、真顔で次のように言われました。「軽々しくしばれるなんて言うもんじゃない。しばれる寒さはこんなレベルではないのだから」と。寒さを表す表現は雪国の人たちはとても豊富に持っていて、「しばれる」というのは本州の人間が体験できないほどの寒さなんだと、このように言うわけです。寒さの微細な違いを標準語で表現するとなると、かなり大変だそうで雪国に住む人達の間で寒さについて解像度の高いコミュニケーションを取るには、方言の力を借りるのがもっともスムーズなのだというわけです。

なるほど、その地域でしか通用しないのが方言なのですから、その地域の気候や風土、文化に適したものが方言として残っているのでしょう。そう考えると、日本に数多ある方言はこれからも存続する意義が大いにあるなと思うようになりました。方言が薄れていっても、標準語にない利便性の高い方言ワードについては、これからも残っていくのではないでしょうか。

文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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