愚痴らず、さっさと解決をしよう
私は愚痴を言うのも聞くのも大嫌いです。というか、愚痴を言いたい気持ちになることはまったくありません。なぜなら、不満に思ったことは愚痴る前に即解決したいと思うからです。
コミュニケーションで不快に感じる点があるなら、それは相手にうまく伝えて解決し、もしも分かり会えない関係性なら距離を取ればいいのです。人間関係はお互いに付き合うメリット、快適な付き合いがなければムリに付き合う必要はありませんから、愚痴を言わないと我慢できないような関係は必要ないと思うのです。
もちろん、現実的に距離を取りたくても取れない相手はいるでしょう。会社員なら職場の上司と合わない場合は、なかなか厳しいというのは事実。でもそこで愚痴を言うだけでは進歩がありません。自分がコミュニケーションを磨くことで、事態の改善を図ることが出来ると思うのです。
過去において、私はどうしても折り合いの合わない上司との関係に悩んだ事がありました。最初は関わりを小さくするために避けていましたが、考えを改め、勇気を持ってこちらから積極的に努めて明るく元気に挨拶をするように変えてみたところ、相手のこちらへの態度が軟化した経験があります。愚痴を言うなら、問題解決を模索する事にエネルギーを使う方が良いと個人的には考えます。
やっぱり愚痴は言わないほうがいい
結論的には、私個人としては「愚痴を言うことが肯定されるシーン」は存在しないと思っています。
仕事や人間関係で愚痴を言う事で自体が好転する事はありえません。なぜなら、合わない仕事、合わない人間関係は解決出来ると思うからです。愚痴をいうエネルギーと時間があれば、解決するために使うことでもう愚痴を言わなくても良い状況へと持っていくことができるでしょう。
「愚痴を言わない人は信用できない」
という話は、逆こそ真なり。愚痴ばかりいう人こそ信用出来ないと思います。なぜなら、自分も彼らの裏で愚痴の対象になっている可能性は大いにあるからです。
「愚痴を受け止めてくれない人は器が小さい」
というのも、愚痴を吐き出し、現状の問題解決のアクションを取れない行動力のなさこそ、小さいと感じてしまいます。
特に問題と思うのは、無抵抗の子供に親がパートナーの悪口をいうケースです。子供は黙って親の悪口を肯定することが「良い子の条件」と考え、悪口を言われている親と仲良くすることがはばかられるために、家庭内の信頼関係を悪化させます。将来の子供の人格形成に悪影響があると指摘する専門家もいるほどです。
私はこれからも愚痴は絶対NG派として、愚痴をいわず楽しく明るく生きる人を選んでお付き合いしたいと思います。
文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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