こんにちは!黒坂岳央(くろさかたけを)です。
ネットの大海原を巡っていると、愚痴についてあれこれと意見が割れているのを目にすることがあります。
「愚痴をいう人は他人に迷惑をかけているから良くない」
「愚痴一つ言わない人なんて信用できない」
「愚痴を言わない代わりに、裏で悪口を言っているのでは?」
「愚痴を言い合える相手こそが信頼の証」
ハッキリと賛否両論分かれているようです。今回は愚痴について考えてみます。
そもそも愚痴の定義とは?
そもそも「愚痴」の定義はなんでしょうか?調べてみたところ、次のような結果を得ることができました。
「言ってもしかたがない事を、言っては嘆くこと。」
です。つまりは解決を目的とせず、相手に自分の辛い心情を吐露する行為というところでしょうか。愚痴は相手にネガティブな心情を伝えて共感を得ることで、話者がスッキリすることが目的なわけです。
愚痴が問題にならないパターンが世の中にはあると思われます。それは、愚痴をいう人、聞く人が等しくネガティブな感情を持っているケースです。
「働いても楽にならないのは政治が悪い!経営者が従業員を搾取している!」
とお互いに感じている不満を共感し合えば、気持ちはスッキリするでしょうし、憂さ晴らしになることでしょう。
…しかし、問題は愚痴を聞く人が共感できないケースに起こります。
愚痴はとてもリスクの高い行為
私は愚痴はとても危険なもので、いう相手をかなり慎重に選ばなければいけないと考えています。
例えば上司の悪口を愚痴としていう場合、もしもそれを聞く人が、悪口を言われている上司を尊敬していた場合は問題になります。聞いていて気分が悪いですし、場合によっては「あの人が悪口を言っていた」と報告をされてしまう可能性があります。そうなると、愚痴を言うことで、社会的信用を失い、受けるダメージはかなりのものになるでしょう。
また、聞く人がそもそも愚痴を聞かされることをストレスに感じるケースもあります。その場合は、話者はスッキリ、聴者はストレスをためてしまう事になり、愚痴によって人間関係に悪影響を及ぼしてしまいます。
ですので、愚痴はとてもリスクのある行為であり、気分が悪いからと誰カレかわまず愚痴ると己の首を締めることになるでしょう。