こんにちは!黒坂岳央(くろさか たけを)です。
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無益な批判家と、有益な情報発信者の違いはどこにあるか?
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

SNSを見てみると、「世の中のダメ出し」をしている人を結構たくさん見ます。

「日本がダメだ。政治がダメだ。」

「最近、マナーがなってない人が増えたことで、嫌な思いをした」

「うちの会社はブラック企業でこんなダメな部分がある」

といった具合です。批判を発信するブログやSNSの投稿には同じような不満を持つ人が集まり、「自分も!自分も!」と共感して盛り上がっています。どの批判を見ても気持ちは分からなくはありません。ですが私個人は、あまりお近づきになりたいと思いません。なぜなら批判の輪に入っても「無益」だからです。

私はいろんなメディアで、世の中の諸問題を取り上げ、問題提起をしている立場ではありますが、批判家ではなく情報発信者として取り組んでいます。

批判家と情報発信者、その違いは一体どこにあるのでしょうか?

世の中は完璧なユートピアなどではない

世の中は100%完璧で、美しいユートピアではありません。この日本にも色々な矛盾、問題、不平等を抱えています。少子高齢化、財政問題、経済格差などがとにかく山積みで、そこに不満や憤りを感じている人もたくさんいます。

世の中にはいろんな問題があって、それに対する価値観や感じ方も人の数だけありますから、どんなものにも批判されるポイントは存在するのです。批判を受けないものがあるとすれば、それは「存在が全く無視されているもの」に限定されます。どんな人でも、どんなビジネス、商品やサービスであっても、すべての人を満足させるものは存在しないのです。

批判は人々の持つ多様な価値観を反映しているわけですから、どんなものにもついて回る宿命です。しかし、だからといって「なんでもかんでもケチをつける批判家になっていい」と言うわけではありません。前述した通り、そのような批判からは何も有益なものが得られないからです。

「日本はダメ」

「会社はクソ」

「異性はクソ」

と何もかもに文句を言って、同じような批判家を集めて、共感し、賛同を得て一時的に気持ちよくなっている人種、それが批判家です。

先日もFacebookを見ていて「昨日はこんなマナーの悪い人がいてとっても気持ちが悪くなりました」ということ延々と書いている人がいました。しかし、その書き込みの中には

具体的な解決策の提案

問題解消するための具体的な行動

再発防止策

などが一切ありません。ただただ、相手の突っ込みどころを取り上げて、他の人と一緒に「ダメだ」といって騒いでいるだけなのです。批判家のコメント見ると気持ちはわかりますし、言っていることは正論でもあります。

しかし、「ただ不満をぶちまけているだけ」でしかなく、成長も気づきもありませんし、有益な何かを世の中に提供しているわけでもありません。批判家は自分が気持ちよくなるために愚痴をぶちまけ、一時的に気持ち良くなっているだけなのです。