国語力は文章を書くことで伸ばすことが出来る

プロのジャーナリストとして、日々たくさんの文章を書く仕事をしている私はからの答えはこうです。「国語力は遺伝的な要素はある。だが、文章を書く訓練を重ねることで誰でもかなりの水準まで上達することは可能」ということです。

「国語力には才能の要素がある」、それは間違いなさそうです。しかし、逆に考えるならば「才能、遺伝的要素がまったく入り込まない分野」など世の中に一つでもあるでしょうか?

数学や理科などは当然として、車の運転、写真撮影、漫画、スポーツ、タイピングなどあらゆる分野で才能や遺伝的要素が左右します。遺伝による差が生まれないものなんて一つもないのです。生まれつきの才能の有無に一喜一憂することではなく、努力で社会的生活を送る上で問題ないレベルにまで伸ばすことが出来るならば大きな問題はないと思うのです。

そういう意味では、芥川賞を取るような小説を書くことはできないかもしれませんが、誰が見ても誤読のしようがない、わかりやすく、読みやすい文章を書くことは訓練次第で誰にでも出来ることです。そしてそうした能力こそがビジネスで求められる国語力であり、こうした能力を文章を書く訓練によって伸ばすことが出来ると私は思うわけです。

私は自身の国語力の高まりを感じたのは、文章をたくさん読んだことではなく、とにかく大量の文章を書いた経験からです。文章をただたくさん読むだけでも確かに読解力などは伸びるでしょう。しかし、漫然と読むだけでは大きな伸びはありません。受動的な姿勢で得られるものには限界があるのです。何にでも言えることですが、アウトプットをするプロセスの中で負荷をかけ、その負荷が能力の高まりを生み出すのです。文章を書く、というのはネットで自分の意見や、問題提起をするなどの「アウトプット」をすることです。それを継続することで国語力はものすごく伸びると考えます。

アウトプットは最高のインプットである

アウトプットは最高のインプットです。いつまでも机に向かって、参考書を読むというのではなく実際に問題を解く方が力が付く、これと同じことが文章にも言えます。

投資の世界でも、ネットマーケティングの世界でも先生から教わったことをいつまでもお勉強をしている人が必ず一定数います。セミナーを受け、本を買うなどいつまでもインプット、つまりはお勉強をして、実践をしない。ネットマーケティングのノウハウをコンサルに教わったのに、教材を読んでばかりで実践しない。これではまったく能力がつきません。

私は教わったことが7割、時には6割理解できたらとにかく実践しています。取扱説明書の類もここ数年まともに見たことがありません。会社で使っている会計システム、スマホ、ゲーム機、PC、タブレット、あらゆるものについての取扱説明書は分からないことがあるまで開くことはありません。とにかくいじくり倒して使って覚える感じです。

出版やネット記事の執筆も同じです。書き方の講座を受講したことはありません。自分の書いたものを編集者に出して、添削を受け、また修正することをずっと繰り返してきました。それで本も出すことが出来ました。とにかく書きまくって改善を続けるだけでいいのです。

アウトプットは最高のインプットです。国語も同じです。ひたすら読む側にまわるのではなく、たくさん文章を書くことを繰り返すほうが、圧倒的に国語力を付けることが出来ると思います。

黒坂 岳央
フルーツギフトショップ「水菓子 肥後庵」 代表

文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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