「ズボンのチャックが開いたままの人」や「漢字の読み方を間違っている人」、また「服のタグがぶら下がりっぱなしの人」を見かけたことがあるでしょう。
あなたは、そうした人に声をかけてミスに気づかせてあげますか?
それとも、気後れして「指摘しない方がいい」と考えるでしょうか?
アメリカのハーバード・ビジネス・スクール(HBS)に所属している組織行動学者ニコール・アビエスバー氏ら研究チームは、ミスに対する建設的な指摘について、指摘する側とされる側がどう感じているか調査することにしました。
その結果、多くの人は「気づいたのなら指摘してほしい」と願っていると判明しました。
研究の詳細は、2022年版『Journal of Personality and Social Psychology』に掲載されています。
目次
顔の汚れを気づかせてあげる人はたったの2.6%だった
多くの人は「指摘されたいけど、したくない」と感じている
顔の汚れを気づかせてあげる人はたったの2.6%だった
研究チームはまず、他人に問題点を指摘できる人がどれほどいるか調査しました。
調査員の顔に目立つ汚れを付け、混雑したキャンパス内でアンケートを取ったのです。
このアンケート調査自体はフェイクで、参加者に質問をして調査員の顔をはっきり確認させることが目的です。
この調査には212人が参加しました。
その後、調査員の顔の汚れについて聞き取りを行ったところ、155人が調査員の顔に汚れに気づいていたと回答。
ところが、実際にその汚れを口に出して教えてあげたのは、たったの4人だけだったのです。
つまり、相手の問題に気づきながら、それを指摘してあげた人はわずか2.6%でした。
多くの人は「指摘されたいけど、したくない」と感じている
次に研究チームは、1984名の参加者を対象に、問題を指摘する側とされる側が、そのことについてどう感じているか調査することにしました。
ここで一つ大切なポイントは、ここでいう指摘が相手のためを思った建設的な意見であるということです。
そのため、「気に入らない」「イライラする」といった嫌悪感や、自分を優位に立たせることを動機とした指摘は調査の対象とはなりません。
さて職場を想定したシミュレーションでは、「自分が同僚からの指摘をどれほど求めているか」「同僚は自分からの指摘をどれくらい必要としているか」考えてもらいました。
その結果、指摘を与える側と受ける側には大きなすれ違いがあると分かりました。
ほとんどの人が、「自分は同僚から指摘してもらいたいが、同僚には自分の指摘など必要ない」と感じていたのです。
アビエスバー氏によると、「このギャップは、日常的で重要でないシナリオでは小さく、逆により重大な問題においては大きくなった」と付け加えています。
レポートの内容に間違いがあるとか、電子メールの文章がおかしい、といった社会的にも重要度の高そうなミスに対して、相手は自分の指摘を必要としていないだろうと考える人が多かったのです。
逆に、顔に食べ物がついているとか、チャックが開いているなどのちょっとした問題については、相手は指摘してほしいだろうな、と認識している人が多かったようです。
ただいずれの場合も、自分自身に当てはめて考えた場合、他人に指摘してほしいと考える人がほとんどでした。
つまり、自分のことならちゃんと相手に言ってほしいと考えるのに、相手はそれほど指摘してほしいとは思ってないだろうと考えるのが、多くの人たちで一致した認識だったのです。
また友人、ルームメイト、恋人同士を対象としたシミュレーション実験でも同様に、相手の意志に反して「相手は自分の指摘など必要ない」と感じてしまうことが多かったようです。
深い関係にある人たちでさえ、指摘に関するすれ違いは生まれていたのです。