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大和五條の魅力4:維新の先駆け天誅組の足跡
大和五條の魅力5:幻の五新鉄道と貨物線跡

大和五條の魅力4:維新の先駆け天誅組の足跡

歴史と自然が豊富な大和五條、6つの魅力大公開!
(画像=『たびこふれ』より 引用)

大和五條は幕末1863年に起こった事件の舞台でもありました。それは孝明天皇の侍従で、公卿の中山忠光を主将とした天誅組の乱が起こった場所です。孝明天皇の大和行幸のタイミングで中山と尊王攘夷の労使たちが決起、堺から河内を通過して山を越えて五條に入ると、五条代官所を襲撃し、五条御政府を立ち上げました。

しかし、京にいた長州藩らの尊王譲位派は失脚し、天皇の大和行幸も中止となります。天誅組は暴徒として幕府から追討される立場になってしまいました。

歴史と自然が豊富な大和五條、6つの魅力大公開!
(画像=『たびこふれ』より 引用)

襲撃ののちに新たに建てられた五条代官所の跡地には五條史跡公園として整備されており、その中に五條代官所長屋門を復元し、中には天誅組に関する資料館になっています。天誅組の蜂起からの行動や幕府により追討されて各地を転々とする過程などが詳しく記されており、歴史ファンには必見の場所です。

歴史と自然が豊富な大和五條、6つの魅力大公開!
(画像=『たびこふれ』より 引用)

また公園内には、明治維新発祥の地の碑や天誅組150年の碑が設置してあります。天誅組の乱は幕府により鎮圧されましたが、その5年後には明治維新となっており早すぎた決起だったことがうかがえます。

その他公園内にはSLが展示してあります。これは大正14年に制作された8620形蒸気機関車です。通称「ハチロク」と呼ばれる蒸気機関車の616輌目です。金剛山麓の路線で主に活躍したこともあり、「金剛・ハロー号」と呼ばれました。1972(昭和47)年に展示され、2003(平成15)年に塗り替えられました。

大和五條の魅力5:幻の五新鉄道と貨物線跡

歴史と自然が豊富な大和五條、6つの魅力大公開!
(画像=『たびこふれ』より 引用)

五條新町通りを西の方に向かうと一本の高架線があります。これは五新線(ごしんせん)と呼ばれる計画線の建築跡です。吉野杉などの木材を輸送する目的として五条駅から紀伊半島を縦断し、新宮駅までを結ぶ予定でした。

しかし、戦時中に工事が中断後、現在の西吉野町城戸まで路盤ができたものの、結局バス専用道となり、鉄道工事は凍結し計画は中止。バス路線も2014(平成26)年をもって廃止となりました。

歴史と自然が豊富な大和五條、6つの魅力大公開!
(画像=『たびこふれ』より 引用)

しかし、「旧国鉄五新線(未成線)鉄道構造物群」として2016(平成28)年に、土木学会選奨土木遺産に認定されました。五新線の跡地で残っているところをウォーキングするツアーも始まったとか。五条駅から五條新町を通って吉野川に向かっていることから、この部分が五條の観光スポットとして残されています。

歴史と自然が豊富な大和五條、6つの魅力大公開!
(画像=『たびこふれ』より 引用)

五新線の計画があった通り、五条駅の隣大和二見から貨物線がでており川端駅がありました。山間から切り出される木材の搬送を目的として、1896(明治29)年に設置されました。紀伊山地を縦断する架空索道(貨物用ロープウェイ)とセットで物資の輸送に大きく貢献しましたが、終戦後に道路が紀伊山地に次々と開通したため廃止となりました。

五條新町から西の二見地域にくると、当時の貨物線の名残が一部残っています。五新線の跡地とともにセットで見ておきたいスポットです。