イラク侵攻はブッシュに責任が帰する
近年、従来のイラク戦争の開戦決定プロセスの理解に一石を投じる本が出版されている。NYタイムズの記者であるロバート・ドレッパー氏が書いた「戦争を始めるために(未訳)」である。
それまでイラク戦争に至る経緯が語られる時に、決まって出てくるのがネオコンと言われる民主主義を世界中に広めるために武力行使をいとわない考えを持った人々の存在だ。
ブッシュ氏の側近がネオコンで固められており、それらの人々に誘導されてイラク戦争の開戦に踏み切ったのが一般的な理解であろう。
しかし、ドレッパー氏の著書の特徴はいわゆるネオコンの影響が誇張されたものであるとし、9.11の衝撃がブッシュのイラク侵攻の決断を確固たるものとしたというナラティブを提示する。
そもそもブッシュ氏は就任直後、イラクはおろか、外交・安保政策にあまり関心は示していなかった。課題としていたのは移民、教育、そして税制改革であった。選挙中に外交知識の欠如は指摘されており、それに対して「最高の外交チーム」を用意すると反論し、それは彼の外交・安保の関心の低さを示唆する。また、今ではネオコンの筆頭と目されているチェイニー元副大統領が政権内の対立を仲裁する「穏健派」と当初は思われていたことも興味深い事実もドレッパー氏は紹介する。
だが、転機となったのが9.11の同時多発テロだ。CIAからの幾度の警告がありながらも、約3000人もの犠牲者を出すテロ攻撃を止められなかった反省は大きく、ブッシュ氏と閣僚はパラノイアの塊と化し、次のテロ攻撃を防ぐためにどんな些細な情報にも手を出し、フセインは大量破壊兵器を保持しているという虚構のナラティブを構築し、信じるに至る。
この過程におけるウォルフォイッツ氏などの正真正銘のネオコンの影響力は否定できない。だが、彼らはブッシュ氏のイラクを侵攻するという決断をより強固なものしただけであり、彼らが存在が無くともブッシュ氏は決断に踏み切ったとドレッパー氏は示唆する。
それほど確固たる意志でブッシュ氏はイラク侵攻を決断した。自らが悪からアメリカ人守り、抑圧されているイラク人を解放する存在だと自負していた。
一片の悔いも無し
ブッシュ氏は自分が誤った情報を下にイラクを侵攻したことは謝罪はしているが、侵攻そのもの自体に後悔は感じていないように見受けられる。しかし、上記の失言は今でもイラク侵攻という決断に強い思い入れがあることを感じさせる。
心のどこかでは後悔はあるのかもしれない。しかし、例えそれがあったとしても彼は死ぬまでそれは表に出さないであろう。
ブッシュ氏は2013年にイラク侵攻の決断は後に「歴史が審判を下す」と述べている。今でもイラク戦争の評価は定まった解釈がなされていない。だが、今回の失言の背後にあるブッシュ氏の日頃からの思考は後世の歴史家が叙述する彼の伝記の終盤で記述、または分析される対象となるであろう。
文・鎌田 慈央
文・鎌田 慈央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
【関連記事】
・「お金くばりおじさん」を批判する「何もしないおじさん」
・大人の発達障害検査をしに行った時の話
・反原発国はオーストリアに続け?
・SNSが「凶器」となった歴史:『炎上するバカさせるバカ』
・強迫的に縁起をかついではいませんか?