生活スタイルの変化により、売り上げが縮小傾向にあると言われるデパート。地方では、中心的存在になっていた店舗の閉店が相次ぐなど「デパートのない街」が増えてきています。

 しかし高度経済成長期の後半にあたる昭和41年~45年の「いざなぎ景気」やその後の昭和50年代、デパートは庶民の夢が売り場に並ぶ、一種のテーマパーク的な存在でした。その頃のこと、ちょっと思い出してみませんか?

 この記事のきっかけになったのが、編集部内で筆者が宮崎県・鹿児島県の地元デパート「山形屋」の店舗に設置されていた「まるいわまんじゅう(丸岩饅頭)」という、機械で連続的に焼かれるお菓子の話をしたこと。これは福岡県に存在した城野(きの)鉄工所が開発した「キノ式自動製菓機」というもので焼かれていたのですが、ここから小さい頃のデパートに関するエピソードトークが始まったのでした。

■ デパートに行く時は「よそいき」の服

 デパートは高級品なども取り揃えているため、売り場にはハイソな雰囲気がありました。スウェットやジャージなど、部屋着のような格好で出かけるのは少々気が引けます。

 このため、当時はまだ現役の言葉だった「よそいきの服」を着て、ちょっとおめかしをして行くご家庭が多かった印象です。いわゆる「ええトコの子」は普段から洒落た服を着ているので、それがちょうど一般庶民の「よそいき」相当の服だったのかもしれません。

 大人には別に用事のある売り場があったかもしれませんが、子どもが目指すのは「おもちゃ売り場」。テレビCMに出ていたおもちゃが揃い、目を輝かせて見て回った記憶をお持ちの方も少なくないでしょう。

 また、デパートのおもちゃ売り場では時折、マジックアイテムなどの実演販売も行われていました。演じて見せるのは修行中のマジシャンが多く、大脱出イリュージョンで有名な初代引田天功も、若手の修行時代に実演販売でデパートを回っていたといいます。

子どもはちょっとおめかし 昭和40~50年代のデパートあれこれ
(画像=『おたくま経済新聞』より引用)

■ 大食堂では「お子様ランチ」が定番

 小さい頃、デパートで楽しみだったことの1つが「大食堂」での食事です。店舗によって「お好み食堂」など名称が違いますが、和食から洋食、中華やデザートまで、前払いの食券方式で食べられる食堂のこと。

 ここでは「お子様ランチ」を頼む(頼まれる)のが、子どもの定番といっていいでしょう。ある程度大きくなってくると、別の料理を1人で食べてみたいと思うのに、毎度のごとくお子様ランチにされてしまい、不満を感じた方も少なくないのでは?

 お子様ランチは店舗ごとに細かな差があり、その奥深さにハマり込む「お子様ランチマニア」も存在します。ケチャップライスに立てられた小さな旗が、日の丸であったりお店の旗だったりと違いがあり、筆者は一時コレクションしていたことがあります。