2. 作品解説、シナリオプランニングの思想、理論、手法

英国政府/SAGEが発表したシナリオ作品は、シナリオプランニングの思想、理論、手法を正統に踏まえた作品だ。

第1に、発表の趣旨は、「英国でこのパンデミックが今後どう推移する可能性があるのか、いくつかのシナリオ(scenarios)で“描写illustrate”したもので、4つのシナリオ以外の展開も否定できない(cannot be ruled out)、だから、今後12~18か月にどう推移するものか、についても確信がもてないのだ」と説明する。正直だ。

シナリオプランニングは、未来が正確には予想できないことを正直に認めることから始まる。この作品はこの思想に忠実だ。

第2に、変異株の出現とパンデミックの流行との間に、フィードバックループを見ている。ひとつは、社会の免疫力の向上が、免疫をすり抜ける性質を備えた変異株の出現をもたらす、というフィードバック。もうひとつは、途上国でのワクチン接種の不十分さが、多様な変異株を発生させつづける。このように、シナリオの制作にはシステム思考を用いる。

第3に、各シナリオを物語(narrative)として書き、コロナ禍のもとでの英国社会の未来の諸相を全体的、包括的に描こうとする。各シナリオは、因果関係を辿って語られるが、その因果のロジックは、シナリオごとに、敢えて、違えてある。これは、読者により深く考えてもらうための工夫なのだ。また、物語の内容を想起させる題名を各シナリオにつける。

第4に、4つのシナリオに出現確率を割り当てていない。4つの未来は同等の確率、つまり同等の確からしさをもって取り扱うべき、という立場で書く。もしSAGEが、仮に、楽観シナリオ(中道想定)の出現確率は60%、と定義すれば英国政府も国民も、このシナリオを“英国社会の将来”と受け取ってしまう。

未来は不確実、という理論的立場からは、こうなる。

第5に、そもそもシナリオを4つ、置いていること。ここにも大事な手法が見える。仮にシナリオを3本作ったら、楽観シナリオ、悲観シナリオ、中道シナリオとでも名付けるだろう。そうすると、英国政府も国民も、中道シナリオを“英国社会の将来”と受け取りかねない。だから、4本、あるいは2本のシナリオを示す、という手法が適切なのだ。

コロナ禍の未来シナリオ:英国政府の見解
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

3. わが国では・・・

ところで、日本では新型コロナウィルスの短中期的未来について、どう考えるのか?

日本経済新聞2022年5月2日15面では、こう紹介されている。

京都大学教授の西浦博さんは22年4月、厚生労働省の専門家組織「アドバイザリーボード」で、オミクロン級ウィルスの出現リスクに関する分析を示した。結論は「平均して数年以内に1回のペースで発生する」だ。新型コロナの出現から約2年たってオミクロン型が見つかり、その後22年4月までの5か月では新たなオミクロン級が現れていないことから出現確率を推定した。オミクロン級が1年以内に出現しない確率は約65%、1回以上出現する確率は約35%とした。平均2~3年に一度のペースで発生する計算だ。

この新聞記事の正確性については、日経新聞殿にも責任を分担してもらいたい。

筆者はこの記事を“事実”として取り扱い、日本の厚生労働省と英国政府/SAGEのアプローチを比べてみよう。(以下の行論には推論が含まれます)

“確率”という、英国政府/SAGEが注意深く避けたコトバが現れる。未来の出現リスクは、“確率”で計測可能だ、という見解である。端的に、この分析は過去のデータを頼りとしていることがわかるだろう。過去のトレンドを観察すれば、未来が予想できる、とする方法論に依拠しているのだ。だけれども、刻々、変異してゆく未来の新型コロナウィルスは、過去のご先祖の振舞い方を範として、あるいは反面教師として生き延びようとするものだろうか? 繰り返すが英国政府/SAGEは、今後どんな変異がおこり、それがどんな性質を帯びているのか、予想することはできない、という見解だ。

厚生労働省の「アドバイザリーボード」も、英国政府のSAGEも、似たような立場と機能を持っているのだろう。ここで、日本政府が、もし仮に、アドバイザリーボードに現れた上記の知見を、そのまま、政策立案根拠に採用するとしたら?

以下は妄想である。

政策立案には科学的根拠が必要だ。だから専門家を集めたアドバイザリーボードに議論を求めている。専門家が公表したトレンド分析を根拠に据える。そうすると、オミクロン級の新株の出現は22年度予算の執行の前提にしなくてもよかろう。もしも出現したら、予備費で賄う。オミクロン級よりも強い脅威を振るう新株の出現可能性については、これは考えられる。が、当日のアドバイザリーボードではこの点についての議論は少なく、議事録ではほとんど触れていない。だからこの懸念は検討から外そう・・・

なんだか、バックミラーを頼りに運転しているみたいである。“前方不注意!”ではないのかしらん。