はじめに
日本経済新聞2022年5月2日に、Hot Science Topicsと題した記事が現れた。キャプションは「オミクロン級出現 3年内?」「日米で確率推定、英はシナリオ提示」とある。筆者はシナリオプランニングを専門としているもので、この記事にある「英はシナリオ提示」の部分を確かめてみた。
すると、シナリオプランニングの思想と理論と手法を紹介できる恰好の解説が書けるもので、本誌をお借りして読者諸賢に披瀝したい。シナリオプランニングを理解するのには、公表されたシナリオ作品を読むのが早道である。
1.英国政府/SAGE、コロナ禍の未来シナリオ
2022年2月、英国政府は、コロナ禍の英国の短中期的未来をシナリオ手法を用いて分析し、公表した。以下に概要を説明する。
英国政府の諮問機関であるSAGE(Scientific Advisory Group for Emergencies)は、コロナ禍の未来は、新型コロナウィルスの変異次第でまったく異なってくる、そして今現在の我々には、ウィルスがどう変異してゆくのか、わからない、という見解である。
そこでSAGEは、未来の不確実性/不可知性を扱うことができるシナリオ手法を採用した分析結果を政府に提出した、政府はこのシナリオ作品を、原型をとどめたまま公表した、筆者はこのように推測している。
なるほど・・・生物細胞自体の分裂、増殖、DNA複製の際にはエラーが少なからず起る。これら複製エラーやDNA損傷の大部分は、細胞が持つ修復機構により高い効率で取り除かれるので、細胞の突然変異(自然突然変異)は非常に低い頻度でしか生じない、のだそうだ。
ただしウィルスのレベルでは話が異なる。ウィルスはすごい速さで遺伝情報のコピーを繰り返し、コピーミスによる変異が起こっている。新型コロナウィルスの場合は、遺伝情報を構成する塩基上で、だいたい1カ月に2つの変異が蓄積されているのだ、という。コロナ禍の波は、毎回、別の変異ウィルスによってもたらされている。2022年春時点の新型コロナウィルスは2年前のウィルスとは配列も性質も違っている。
そしてここが肝心なところだが、複製エラーは、これは確率論的に起こる。未来の新型コロナウィルスが、どのように変異してそれがどんな性質を持つか、予想ができない。このウィルスは、次第に宿り主の人間との共存をはかろうとして弱毒化してゆく、という見通しがあるが、希望的にすぎる。
ということで英国SAGEは、新たな変異株のとりうる性質の不確実性に注目して、コロナ禍の英国の今後を語る4つのシナリオを作った。
シナリオの射程は、「今後の12か月から18か月」としている。なお、4つのシナリオに共通して、コロナ禍は当面収束せず、今後の12か月から18か月以内にも新たな変異株が流行するだろう、という見解だ。
<シナリオ1「想定可能な最良シナリオ Reasonable best-case」>
次の変異ウィルスの脅威はオミクロン株並みである。ワクチンの効果や感染力、重症度に大きな変化はない。
このシナリオでは、今後12~18か月、季節や地域ごとに小規模な流行が起きる。免疫が弱い人には既存のワクチンを毎年接種する。
<シナリオ2「楽観的シナリオ(中道想定) Central optimistic」>
オミクロン株の前の流行を引き起こしたデルタ株並みの脅威を持つ新たな変異種が出現して、季節的な流行が発生するかもしれない。が、社会の免疫力は総じて増している。
このシナリオでは、免疫が弱い人や高齢者には、毎年、更新したワクチンを接種する。流行が厳しい年には、広く一般にも打つ。マスクなど公衆衛生対策が必要な場合もある。
<シナリオ3「悲観的シナリオ(中道想定) Central pessimistic」>
社会の免疫力の向上そのものが、思いがけない変異種を出現させる。この株の感染力はオミクロン株より強く、免疫をすり抜ける性質を備えてもいる。ただし既存ワクチンに重症化予防効果があるので、このシナリオでは流行は繰り返すものの、社会生活の広範囲の混乱は避けられる。
人々は更新されたワクチンを毎年接種してゆく。自主的な行動制限が行われる場合もある。
<シナリオ4「想定可能な最悪シナリオ Reasonable worst-case」>
人間世界、特に途上国ではワクチン接種が進まず、動物を介したウィルスのやり取りも収まらず、結果として多様な変異株が出現しつづける。強敵の変異株が出現するだろう。免疫をすり抜け、どの年齢層が重症化して死亡率が上昇するのか、見通せない。
このシナリオでは、我々の社会は自主的な行動制限に後ろ向きである。ワクチン開発が変異のスピードに追い付いていけない場合には、強い行動制限が必要となる。