「孤独な人生は寂しいから子供がほしい」「子供を持つことで、生きがいを得たい」という声をよく見る。筆者の知人にも「一生独身は寂しい。配偶者は要らないが子供はほしい」という人がいる。反発覚悟で言えば、そうした発言をする人は、たとえ家庭を持っても、寂しさは癒やされず、生きがいは得られないと思っている。

もちろん、人はの価値観や感じ方は十人十色であるため、「100%全員そうなる」とは断言できない。だが、そうなる可能性は高いと言い切るだけの論拠があり、本稿でそれを示したい。

「寂しさを癒やすためだけに子どもを持つ」という選択は、人生における賢明な結果になるとは限らないのだ。

「家庭を持てば人生寂しくない」は幻想である
(画像=Yaraslau Saulevich/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

家庭は寂しさや生きがいに無関係

人間が寂しさを覚えるのは、どういう時だろうか?それは近くに人っ気がある/ないという物理的な要素と言うより、心理的なものから来るものだ。筆者は「自分は誰にも求められていない」と感じた時に覚える感覚こそが「寂しさ」の正体だと思っている。

仮にあなたは父親で、家に子供が何人もいる家庭を持っていたとする。家には妻がおり、子供は慌ただしく走り回っている。一見すれば、寂しさなど感じる要素はないように思える。

だがその実、家に居場所がないと感じる父親は世の中にかなり多い。なぜか?それは自分を心理的に頼ってくれる対象が存在しないためだ。子供は母親にベッタリで自分には寄り付きもしないという家庭であるなら、この状況はかえって人間がいるからこそ寂しさは強まるはずだ。また、このような状況下で命をかけて家庭を守るという気概を持つのは難しい。

家庭がなくても寂しくない人たち

筆者の個人的肌感覚で言えば、子供がいなくてもまったく寂しそうにしない人間はたくさんおり、それはある程度のパターンに分類することができる。それは友人や親族か、仕事を通じた交流が盛んである場合だ。

たとえば社交的な女性は、独身でも寂しそうな気配がまったくない人はかなり見る。本当の心情は本人でなければ預かり知ることは不可能ではあるが、しょっちゅう友人たちとお茶したりショッピングにいって交流をする女性はよくしゃべり、よく笑い、子供の有無は問題ないように感じられる。

また、精力的に仕事をする男性は、ビジネス上の交流で満足しているように見える。自分の仕事でお客さんから満足の声が届き、取引先と酒を飲み交わす様子を見ていると、むしろ子供がいない自由を謳歌しているように思える。