こんにちは!黒坂岳央(くろさかたけを)です。
■Twitterアカウントはこちら→@takeokurosaka

大人になり、数え切れないほどの「出会いと別れ」を繰り返してきました。8月の夏の盛り、ふと空を見上げて目を細めてしまうほどの爽やかな陽光の下で、なぜか唐突に「出会いと別れ」について考えを巡らせる瞬間がありました。私にとっての夏は「出会い」、そして秋は「別れ」を連想させる不思議な感覚を覚えるのです。それで本題にある「一期一会」についてついつい想いを馳せてしまいました。

「一期一会」に込められた真の意味を、私はこう解釈する
brushstockより:編集部(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

Twitterでもこの切なさを言葉にしてみました。

「別れ」にフォーカスした「一期一会」

一期一会という言葉について、Goo辞典では次のような言葉の定義がなされています。

一生に一度だけの機会。生涯に一度限りであること。生涯に一回しかないと考えて、そのことに専念する意。もと茶道の心得を表した語で、どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきことをいう。

辞書で定義されている通り、多くの人が「この人とはもう二度と会うことはないかもしれないので、出会いを大事にしよう」と考えているのではないでしょうか。そう、「出会い」を大事にして安易に「別れ」につながらないように誠意を持って対応しようという考えです。つまり、多くの人は「出会い」にフォーカスした考えを持っていると思うのです。

しかし、私はこの言葉についていえば、「出会い」より「別れ」にフォーカスした考えを持っています。「出会いは偶然で、別れは必然。今会う人とはいつか別れる時が来るのだから、その人の心に残る種を植えたい」という「別れる事への覚悟」です。

想定しない「別れ」

人は別れる時のことを想定せずに、ともに時間を過ごします。仲のいい友達、会社の同僚なども「この先も一緒にいる」ということを、考えながら付き合いをしている人も多いのではないでしょうか?しかし、私は数多くの別れを経たことでそれが幻想に過ぎないことを知っているつもりです。

「また今度もぜひ一緒にやりましょう!」
「次も絶対に来ます!」
「これからも末永くお願いします」

このように笑顔で言ってくれた彼らは、いつしか私の前から風のようにいなくなってしまいました。もちろん、彼らにだまそうという意図はありません。仕事が忙しくなったり、遠くに引っ越したり、他に面白そうなものを見つけたのかもしれません。

人は別れる時によく「次」を約束します。「またよろしく」「今後もよろしく」、こういった言葉に表れる「次」、こんなにも「次」を示しておくのはそれだけ人はあっさりと別れてしまうということなのかもしれません。