最も恐れるべきは時代の変化に取り残されること
AIやロボットがもたらすイノベーションは、旧来のビジネスを不要にすることは確かだが、同時に新たな産業を創出し、人類の生活を豊かにしてくれる側面もある。最も恐れるべきはイノベーションではなく、「変化する時代に取り残されてしまう」ことだ。厳しい言い方をすると、イノベーションや新たなテクノロジーを迎合できない人が、自らを敗北せしめていることを意味する。真に恐るべき対象は変化や変化をもたらす対象ではなく、変化できない自分自身といえよう。
ひところ、ガラケービジネスは一斉を風靡した。ピカピカ光るアンテナをつけたり、携帯をデコレーションしたり、着メロをダウンロードしたりと、様々なビジネスが創出された。筆者がコールセンター派遣をやっていた当時、絶対音感があって耳コピが得意な人物がいた。彼はコールセンターで働きながら、その傍らでカラオケや着メロを作る副業で収入を得ていた。「みんなが携帯電話を使うようになったから、最近ではカラオケより着メロの仕事が多くて儲かるんだ」と言っていた。
しかし、そんなガラケービジネスは、海の向こうからiPhoneという黒船の登場により終焉を迎えることとなる。ガラケービジネスに携わっていた一部の会社は姿を消した。その後の行方は分からない。サービスや商品提供先をスマホに転換できた企業は生き残ったが、そうでない場合は異業種へ向かったか、もしくは姿を消していっただろう。着メロを作っていた彼は今、どこで何をしているだろうか。
供給者の論理や都合を無視して、市場は常に変化していく。無用の長物化しないためにも、変化し続けなければいけない。そのためには勉強が必要だ。
AIやロボットで世の中は便利になる
新たなテクノロジーの進展で、人間の仕事を奪う事例はこれまで何度も起こってきた。
ミシンが製造された時には、仕事を失うことを恐れた服の仕立て屋が、ミシン工場を焼き討ちした事件が起きた。だが、現代では服を作る上でミシンを使うのは当たり前の風景になっている。また、イギリスで起こった第一次産業では、蒸気の技術が肉体労働を奪い取った。人類は歴史の中で、何度も新たな技術に仕事を奪われてきた。だが、それを未だに悔やむ人はいない。便利な現代において、今から服の仕立て屋を目指したり、蒸気や電気で代替された肉体労働を復活を望む人は存在しないことからも、それは明らかである。
AIやロボットによるテクノロジーの発達で期待されている分野には、同じタスクの繰り返しやチェックなど、単純で労働集約的な作業も少なくない。ヒューマンエラーを廃し、付加価値の低い仕事を代替してくれることで、人々はAIやロボットにできない、頭脳労働に集中することができるようになる。そうなれば、シンプルに世の中は便利になっていくだろう。
テクノロジーの進展と人類の受容は、不可逆的に進んでいく。人類はひとたび、便利な生活を獲得すると、もはやそれを手放すことはできなくなるのだ。
中高年は若者から学ぶ姿勢を
いつの時代も、一定数の中高年世代は若者に対して上から目線の姿勢を取っていた。
「こんなことも知らないのか」
「若者は常識がない」
そうやって、旧来のあり方を知識と経験でマウントしてきた中高年も少なくないはずだ。だが、上述した通り若者は構造的な事情で、中高年世代を後からリープフロッグしてくる存在である。それを理解すれば、若者は「教えてあげる対象」というより「先端の技術を教わる対象」といった見方もあるのではないだろうか。
文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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