黒坂岳央(くろさか たけを)です。

「貧乏生活を送るためには、生きる上でコスト高になる」、そう言われると矛盾を感じてしまう人は貧乏生活の経験がない人で、強く首肯してくれる人は経験者だろう。一見、完全に矛盾するようなこの主張の裏には、お金の不安がない人には想像もつかない資本主義社会の影がある。

「貧乏生活をするにはお金がかかる」という世知辛い矛盾
(画像=Khosrork/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

筆者は貧乏生活の経験者だ。20代まではずっとお金の不安に取り憑かれていた。上京したばかりの時は、南千住で日雇い労働者やバックパッカーの外国人が泊まるドヤ街から、会社に通勤していた時期もある。引っ越しした後のボロマンションでは、筆者が住んでいた部屋で殺人事件が起きたような危険な場所だった(引っ越した後に事件は起きた。まさしく間一髪である)。筆者自身の経験からもこの主張を考察したい。

貧乏生活は膨大な時間と労力を失う

端的に言えば、貧乏生活を送ると、とにかく膨大な時間と労力を奪われる。

筆者は貧乏生活を送っていた頃、スーパーの無料で水を持ち帰ることができるサービスを活用していた。お断りしておくと、「水の無料持ち帰りサービスの利用者は貧乏人だ」などと失礼なことを言うつもりは毛頭ない。持ち帰った水は意外なほどおいしいし、飲料水の購入費が削減できるメリットに惹かれて利用していた。毎月の水道代を出来る限りケチりたいと考え、休日はそのために何度もスーパーを往復していた。夏は肉体労働そのものだ。4リットル用のボトルを2本持って、炎天下を歩いて持ち帰った。

また、少しでも安いスーパーがあれば、多少遠くても根性で歩いて買いに行く。休日の朝にやることは、スーパーをはしごしてなるべく安い食材を買い集めることだ。時間を売って、いくばくかの安価な買い物に満足する。結果として、失うのは膨大な時間と労力である。

お金がないと「合理的な選択肢」を選べない

これは筆者の経験ではないが、お金に余裕がないという人物から聞いた話では「歯医者にいけない」ということだった。冷水を口に入れて多少しみるようでは、気のせいにする。いよいよ、眠れなくなるほど痛くなってから一気に治療をするから、虫歯で歯はボロボロになってしまう。「米国では歯並びが重要視される」という話がある。「入念に歯の手入れができるような、精神的・経済的余裕のある人物を選出したい」という観点で言えば、これほど合理的な人選ポイントもないだろう。

また、ネットカフェ難民も同様の事情を抱えるケースがある。「長い目で見れば、アパートでも借りた方が安上がりでは?」という提案が見られるが、貯金がないから引っ越しをするための一時金を捻出できない。それ故に、コスト高でも日払いでイニシャルコストのないネットカフェ難民へと漂着する。

「良質なものを買って、長く使えばトータルでは安上がり」という正論は、お金のない人にとっては「理論上可能だが、実質不可能なキレイゴト」に聞こえてしまう。良質なものを買うために差し出すまとまったお金がないからだ。

お金がなければ、長期的展望に立った合理的な選択肢を取れない。「学生の間は勉強すべし。アルバイトは時間がもったいない」という主張もあるが、アルバイトをしなければ直ちに学生生活が立ち行かなくなる立場の人には、響かない論理なのである。