病院食は美味しくないという話をよく聞きますが、健康に気を使った減塩食は薄味で物足りない料理になりがちです。
恒久的に健康を損なった場合、3食ずっと減塩食を続けなければいけないということにもなるでしょう。
しかし、食事は人間にとって生きる楽しみの1つであり、それを失うことは生活の質の低下に繋がります。
明治大学の宮下研究室とキリンホールディングス株式会社は共同で、そんな減塩食の味わいを増強させる箸型デバイスを開発。
減塩食の塩味を約1.5倍増強させることに成功したといいます。
健康をそこなう調味料は使わずに、食器の機能で味を調整できる時代が間もなく来るかもしれません。
この研究は、第26回 一般社団法人情報処理学会シンポジウム「インタラクション2022」にて、2022年3月2日に発表されています。
目次
日本人を取り巻く塩分とり過ぎ問題
電気で味を強化する原理
日本人を取り巻く塩分とり過ぎ問題
私たちは生きるために食事を必要としますが、現代では多くの場合食事は娯楽の1つになっています。
私たちはもはや栄養摂取とは無関係に、ただ味を楽しむためだけにさまざまな食品を摂取します。
そのため特定の栄養素が過多になり、健康を害してしまうことも多くなってきました。
WHO(世界保健機関)が掲げる食塩摂取の基準値は、1日当たり5.0g未満(2012年、WHOガイドライン)とされています。
ところが、日本人の1日当たりの食塩摂取量は、成人男性で10.9g、成人女性で9.3gという調査結果が示されており、日本のほとんどの人はWHOが示す基準値のおよそ2倍も塩分をとっているのです。
たしかに醤油もお味噌も塩分の高い食事です。日本には塩分濃度の高い美味しい食事が溢れています。
塩分が気になるけど毎週ラーメンを食べてしまうという人も多いでしょう。
けれど塩分のとり過ぎは、高血圧・慢性腎臓病をはじめとした生活習慣病の発症や重症化の原因となるため、これは日本の食環境を取り巻く大きな社会問題とも言えるのです。
WHOの基準はいささか厳しすぎるため、厚生労働省はもう少し緩和した基準を設けています。それでも生活習慣病予防の為には、現在より食塩摂取量を20%以上低減する必要があると示しています。
しかし、塩分を控えた食事は「味が薄く」、どうしても長続きさせることができません。
健康を害した後に、医師の指導で減塩食をとらざるを得ない状況となった場合、生活の質さえ低下した気分になっていくでしょう。
そこで待ち望まれるのが、塩を使うことなく、味を強化する新しい技術の登場です。
今回報告された、明治大学とキリンの共同開発による「塩味を増強する箸デバイス」は、そうした未来の食事をサポートするものなのです。
電気で味を強化する原理
明治大学の宮下研究室らの研究チームは、以前より電気刺激によって味覚を制御する方法について研究を行っていました。
その研究成果から、塩味を人間が感じる原理は、食塩(NaCl)が電離した際に生成されるNa+(ナトリウムイオン)に味蕾が反応しているためだと明らかになります。
Cl-(塩化物イオン)は、特に味覚には作用していなかったのです。
Na+にしか舌が反応していないのであれば、陰極(マイナス極)の印加で塩味を生み出す成分を自由に動かすことが可能です。
そこで、宮下研究室では食器に電荷を持たせることで、味の感じ方を制御できるのではないかと考えました。
今回開発された箸デバイスでは、腕時計型のデバイスを通じて箸に微弱電流が流れ、箸先に陰極を印加しています。
また、腕時計型のデバイスは導電性ゴムによって腕の皮膚と接しており、身体の方は陽極の状態にしています。
つまりこのデバイスを装着すると舌は陽極の状態になるのです。
この状態で、箸に摘んだ食べ物を咥えたり、箸を浸したお味噌汁などを口にすると、塩味の成分であるナトリウムイオン(Na+)が、舌が離れるように移動します。
つまり、塩味は感じない状態となるのです。
味を感じなくなるのでは「今回の話と矛盾するのではないか?」と感じますが、ここでちょっとした仕掛けを研究者たちは施しました。
箸先を咥えて回路がつながると、印加していた微弱電流を逆転させるのです。
すると舌からは引き離されていた塩味の成分が、一気に舌へと吸い寄せられます。
明治大学総合数理学部先端メディアサイエンス学科の宮下芳明教授は、ナゾロジーのメール取材に対して、このデバイスの効果を次のように説明します。
「これは、もちあげたボールを勢いをつけて地面に投げつけるようなものです」
これにより、私たちはただ食べ物を口にしたときよりも、強いインパクトで塩味を感じることになるのです。
では実際、それはどのくらいの効果を持つのでしょうか?