筆者プロフィール
叶子
94年生まれの中国人。大学卒業後、某日系テレビの上海支局に従事。その後上海のマーケティングベンチャー企業に転職し、現在に至る。
いつも中国ビジネス関連情報をお伝えしてきたが、上海がロックダウンして以降、現地の状況について多くの関心が寄せられたため、今回は私個人の体験から世論の注目の的である上海ロックダウンの様子をお伝えしたい。
初めに、3月中旬から上海で感染が拡大してきたことを受け、出社が在宅勤務に切り替えられた。これは2年前である第一波の際も経験したことなので、特に慌てることはなく、中国経済の中心である上海がロックダウンすることはないとこの時点では思っていた。
しかし、現実は想像を越え、激しく変化していった。
3月27日、上海市政府が翌日の28日から4月1日の朝5時までを浦东、4月1日から4月5日の朝5時までを浦西の順番で都市閉鎖をすると発表。翌日のロックダウンを控える浦东の住民は、残されたわずかな数時間を利用して、スーパーへ駆け込み、食料を取り合った。
私は浦西にある長寧区のシェアハウスに住んでおり、順番が来る前に、食料の準備を行った。物を買い溜めて部屋に置きたくない性格なため、インスタントラーメンやパンなど、ちょうど5日分の食料を準備。
政府は市民生活のために不可欠なフードデリバリーや、宅配を非接触の置き配に切り替えるよう指示。ロックダウン開始の前日まで、デリバリー注文が可能であった。
しかし、ロックダウンが始まると、保証されているはずのデリバリーが注文不可に。この時になってようやく私はロックダウンということを実感した。
解除予定日の延期により、食料が底をつく
ロックダウン初日に団地(アパートやマンションの集合住宅)では、全住民にPCR検査を実施。その翌日には抗原検査キットが配布され、住民自ら検査を行った。そして、封鎖解除予定日の前日にもう一回全住民に対してPCR検査が実施されるなど、かなり念入りな対応が講じられた。
しかし、予定日の4月5日になっても解除の発表は全くなく、それについての説明もない。これにより、5日分の食料しか溜めていなかった住民が営業している数少ない生鮮ECアプリに殺到。私も慌てて生鮮アプリをダウンロードし、朝6時にアラームかけ、販売開始を待った。販売スタートしたら、支払い画面になかなか入れず、入れたと思ったら今度はもう全ての予約が終了。他2つのアプリをチェックしても、完売と表示され、唯一残された野菜セット(トウモロコシ2個、キュウリ3個、キャベツ1個、かぼちゃ1個、人参3個、芋5個、にんにく300g、ショウガ300g)を迷う時間もなく購入した。
もしこの野菜セットを購入できなかったら、私は恐らく食料が底を尽き、シェアハウスの人に借りることになっていた。普段あまり自炊しないが、この野菜と残っていた少量の米でなんとか一番辛い時期を乗り越えた。

この時期から、同じアパートに住む住民間で食料がなくなることを心配する人が増加。アパートの住民管理および事務伝達役である「楼長」は、私と同じ階に住む50代のおばあちゃんで、彼女はwechatグループで住民からの野菜注文をまとめ、住民委員会(団地を管理する組織)に報告してくれたが、その野菜が届いたのは3日後のことだった。
政府からの配給は2回あったものの、1回目はトマトなどの野菜に少量のお肉、2回目は玉ねぎ、人参などの野菜のみ。人数ではなく所帯ごとに配給され、5人家族の所帯にも同じものであった。

4月6日、団地で3回目のPCR検査が実施される前に、向かいのアパートに住むおばさんが窓を開け、外の防護服を着ている人に大きいな声で話しかけ始めた。何かもめているように聞こえたが、上海語がわからない私はビデオを撮って上海人の同僚に送信。どうやら、そのおばさんが住むアパートで感染者が出たことを伝えているようだった。
住民委員会はこれを正式に発表せず、私は翌日の上海市政府が行った公式発表で団地に感染者が出たことを確認した。感染経路や、なぜロックダウンに入った後に感染したのか、もちろんこれらの説明も一切ない。
高齢者の苦境
事態はますます悪化。私が住む団地は80年代に建造された古いアパートの集合住宅で、私のような賃貸で住んでいる若者を除き、年配者が多く住む。
ある日「母親の薬がもうすぐなくなる」と隣のおじさんがwechatグループで「楼長」に訴えた。私は薬品の宅配を試しそうと、上海市政府が公表している薬品購入が可能なお店に電話してみたが、確かに営業自体は継続しているが、配達員不足により、住民に届けることが困難な状態であった。
その後「楼長」は、カルテと必要な薬品を住民委員会に報告し、その2日後にボランティアの人が近くにある薬局で購入してくれたようだ。
また、突然のロックダウン延長により、予想外の出来事が多発していた。
4月8日、「楼長」から翌日の抗原検査キット配布にボランティアが足りないことをwechatグループで通知された。ちょうど週末であったため、私は手伝いを申し出たが、ボランティアをやるには防護服が必要で、持ってない人では厳しいとのことだった。防護服がこんなに足りていないことに少し驚いた。
結果として、私は他のボランティアの人からから使ってない防護服を一着頂いた。
翌日、抗原検査キットを配布した後に、5回目のPCR検査実施の知らせが届いた。私はアパートの住民のドアをノックしてこれを伝えた。インターネット大国である中国でもスマホを持ってない年配者や、スマホを持っているが使いこなせないないお年寄りもいるため、伝達にはこういう原始的なやり方の方が役に立つようだ。

そして、ある90代のおばあちゃんが60代前後の娘に支えられ、足を震わせながら階段を降りて来た。医者が階段の上で検査を実施することは可能か、と現場にいる防護服を着ている責任者に聞いたら、ダメという返事であった。どんなに事情があっても非常時では特例は許されない事に冷たさを感じた。