黒坂岳央(くろさか たけを)です。
「若い内に挑戦しておけ。年を取ってからはできなくなるぞ」。この言葉を目上の人から言われてきた人も少なくないだろう。ご多分に漏れず、筆者も似たようなことを言われてきた。たくさんの失敗をして、たくさん恥をかいてきたが、若い内にたくさん挑戦、失敗を重ねてよかったと思っている。

最近、ようやく分かってきたことがある。それは「挑戦は若い内に」というこの言葉、誤って解釈している人は意外と多いのではないか?ということだ。「10代・20代の若い方へ、挑戦と失敗について正しく理解してもらいたい」と思い、筆をしたためたのが本稿である。
肉体的、知能的な衰えはそれほど大きくない
挑戦は若い内にしなさい、という言葉を「若い方が能力が高いから」「体力があって活動的だから」という、能力的優位性の観点からなされるケースがある。だが、世間的な印象に反して、頭も体も鍛えておけば若い状態をかなりの程度、維持できることが明らかになっている。
学術誌「Journal of Applied Physiology(応用生理学ジャーナル)」(2018年8月出版)に掲載された研究結果によると、運動を続けていた70歳以降の高齢者は、実年齢より30歳も若い心臓血管の健康度を保っていることが明らかになった。人によっては、「運動不足の若者」以上の体力を持っていたという。
また、知能も使い続けていれば、ドラスティックに落ち込むことはない。医学博士の久保田競氏は「頭をドンドン使うことで、神経細胞とシンプスのつながりを増やして脳の働きを活発にできる」といっている。記憶力日本一を6度獲得した池田 義博氏は「自分は40代半ばから記憶力日本選手権大会に参加、10-20代の若い選手たちをおさえて、出場した6回すべて優勝できた。年齢を重ねても記憶力は維持できる」と主張する。
筆者の個人的経験値からも、これは正しいと感じる。フルーツギフトショップを経営していると、70歳を超えても、たくましい筋肉を持ち、若者に混じってハツラツと働く高齢者はいくらでも見てきた。また、経営者も60歳、70歳でも精力的に勉強し、時代の変化に対応しながらビジネスで生き残っている人は珍しくない。60歳を超えて英検1級に挑戦、一発合格した人物や、大学院に入学して博士号を取得した人物など、探せばいくらでもいる。
ましてや40代、50代なら努力によって、能力はかなり高いレベルを維持できる。もとい伸ばすことすらできるだろう。筆者自身は、勉強を続けてきたことで10代、20代の頃と比べて、30代になってから記憶力が衰えた実感はまったくない。むしろ、語彙力や論理的思考力、情報処理能力などは歳を取ってからの方が圧倒的に高まったと感じている。
年齢を重ねると挑戦が許されにくい立場になる
以上のことから、挑戦することには、加齢に伴う能力低下は決定的ファクターではないと考えている。
若者がリスクを取って挑戦するべき優位性は、能力ではなく「社会的立場」によるものだろう。そして、これこそが中高年者が、挑戦することを難しくしている本質的理由でもある。ここからは、本稿でもっともしっかり伝えたい主張を展開していきたい。
若者は失敗しても許される。「若気の至り」と評され、失敗した人にも世間は優しい。助言をくれる人を見つけることも難しくない。その一方で、歳を重ねた中高年が失敗することへの世間の風当たりは、残酷なまでに強い。
20歳の若者が、4つか5つ年上の同じ20代の上司から叱られることには、年齢的な要素による大きな屈辱感はそれほどないだろう。「できないのは経験の差だ」と自身の心を慰めることで、溜飲を下げる人もいるはずだ。だが、40代の中年が20代の若者から叱られることの屈辱感は、プライドの高い人にとっては「耐え難い苦痛」に思える。当人同士だけでなく、取り巻きの同僚などの第3者の視線も、心が凍てつく冷たさに感じるだろう。我が国は「恥をかくくらいなら自死する」という人もいるくらいの「恥の文化」であることも手伝い、歳を取ってから挑戦、失敗をして恥をかく辛さはまさに苛烈である。
恥をかくことが恐怖で、歳を取ってからいきなりリスクを取って挑戦をすることが難しくなってしまうのだ。