情報リテラシーを学んだ
今、マスコミ情報が正しいのか?ネットの情報が正しいのか?
こんなテーマでSNS上やYouTube上では大きく議論されています。その2000年頃に既に「情報のあり方」を世に問い、ネットを駆使する事の必要性を訴えていたのが宮崎氏であり、私も先の参院選以来、ネット活用・ネット選挙を研究してきた者として時代が早過ぎた「突破者」のフロンティア精神に脱帽です。あの頃からメディアリテラシーは左右の言論層関係なく言われいたのに、改善されないどころか悪化している現況を早く食い止めなければと思う者です。

自身が博徒の親を持ち、被差別部落を背景に幼少期を過ごしてきたからか、反権力的な視点は常に持ち続けた信念もあったかと思います。
「近代の奈落」という全国の部落を訪ねて考察を重ねる著書もありましたが、私が宮崎氏から感じていた空気は「差別や貧困」を社会課題に掲げて為政者へのメッセージを発信していたのだと考えています。ちょうど2003年2004年頃は、そういう著作の影響を受けて、近畿地方を回って色々とレポートをまとめていた私です。
社会変化を肌で感じ
いずれにしましても、どう考えても「物の考え方」や「反権力思考」は学生時代から含めて、私とは全く異なる立居位置で現在に至っていますが、テレビ朝日で報道に携わる中で、ジャーナリストのあり方のようなものを学んだ側面はあると思います。
あの戦後最大の事件である「グリコ・森永」で重要参考人になった宮崎氏は事件の動機が「貧困・差別」から「見栄・欲望」に変化していると指摘され続けた。昭和・平成・令和との時代が流れる中で、正に宮崎氏の言う通りになっていると思いませんか。「生活が苦しくて」という犯行動機よりも「遊ぶ金が欲しくて」というニュースを毎日のように聞きます。
という事は、政治を含めた社会システムも、大きく変化しなければいけないのに政治家も役人も変化しきれていない。それが、コロナ禍の「政治と国民の乖離」を生んでいるのではないだろうか。私は、出来るだけ人に会って街場の声を聞いています。フィールドワークでしか、見えてこない真実があると無意識のまま学んでいたのかもしれません。私には私にしか出来ない政治活動、政策提言があると思い、今年度も突っ走っていきます。
文・川松 真一朗
文・川松 真一朗/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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