人類は2000年以上も前から、物質の変化の秘密を解き明かし、自由に操れるようになりたいと願っていました。
サビはなぜできるのか?
コップの水に塩を入れると、どうして消えるのか?
モノを黄金に変えることはできるのか?
これらはすべて化学の問いですが、最初にこれに取り組んだのは「錬金術師」たちでした。
では、錬金術からいつ、どのようにして化学は生まれたのでしょうか?
目次
ギリシアの哲人から生まれた「錬金術」
化学史を変えた「元素周期表」の誕生
「電子」の発見で錬金術は実現した⁈
ギリシアの哲人から生まれた「錬金術」
化学の第一歩は、古代ギリシャの哲学者たちから始まっています。
「万学の祖」と言われるアリストテレスは、あらゆる物質が「火・水・土・空気」の4つの元素からできていると考えました。
そして、硬いとか柔らかいといった物質の性質は、4元素の比率で決まるというのです。
意外にも彼の考えは広く浸透し、多くの信奉者が生まれました。
その後、アリストテレスはBC322年に亡くなりました。
彼が家庭教師をつとめたアレキサンダー大王がエジプトを征服し、アレキサンドリアを新たな首都にしてから9年後のことです。
その地では、アリストテレスの信奉者たちが職人として冶金をするようになりました。
彼らは自分たちの技術を「金属を鋳(い)って混ぜ合わせる」という意味から、「キメイア」と呼ぶようになります。
キメイアは一度イスラム世界に受け継がれたあと、中世ヨーロッパに伝わるのですが、魔術師たちがそれを「アルケミー(錬金術)」と呼んだことで、何やら魔術めいたものになりました。
アルケミスト(錬金術師)たちが何より追い求めた物質は「賢者の石」です。
賢者の石は、卑金属を金・銀に変え、不治の病をなおし、不老不死を手に入れられるとかたく信じられました。
しかし、錬金術を「化学」と呼ぶにはほど遠いものでした。
これがどのように化学へと変わっていったのでしょうか?
化学史を変えた「元素周期表」の誕生
1661年、「近代化学の祖」とされるロバート・ボイル(1627〜1691)が「4つの元素から万物ができているというのは不正確であり、より科学的な手法で証明しなければならない」と言ったことからすべてが変わりました。
これを実践したのが、フランスの化学者、アントワーヌ・ラボアジェ(1743〜1794)です。
ラボアジェは元素を「それ以上、細かくできないもの」とし、1789年に33個の元素の一覧を発表します。
それ以降、さらに多くの元素が発見され始め、複数の元素を結合させることで化合物ができる、という考えも浸透しました。
そして、1869年2月17日、化学史を変える大きな出来事が起こります。
ロシアの化学者、ドミトリ・メンデレーエフ(1834〜1907)はその日、ちょっとした技術指導を頼まれて、チーズ工場に行く予定でした。
ところが彼は約束を取り消して家にこもり、熱に浮かされたようにペンを走らせました。
その晩に書きあがったものこそ、「元素周期表」でした。
この表は、元素をあるパターンや性質ごとにまとめた画期的なもので、現在でも使われています。
学校の授業で「水兵リーベ、ぼくの船、七曲りシップス、クラークか」と覚えさせられたアレですね。
周期表のおかげで、さまざまな観測結果の説明ができただけでなく、予測も立てられるようになりました。
また、メンデレーエフは見つかっていない元素の場所を空白にし、「誰かがいつか見つけるだろう」と予言しました。
例えば、彼はケイ素の下に空白をもうけ、仮に「エカケイ素(エカは一つ下という意味)」としましたが、1886年にドイツの化学者、クレメンス・ヴィンクラーがそれに当たる元素を見つけています。
それが今の「ゲルマニウム」です。