相続でもめる心理
親族が亡くなった時、深い悲しみと共に欲望の渦が沸き上がるのは小説や有名人だけの話ではありません。複数の相続人がいる場合、仮にテレビ一台分でも「あっちのテレビは大きいぞ」と監視の目を光らせ、血みどろのデスマッチをした挙句、親族関係がバラバラになるという悲惨なケースも多々あります。他人から見れば最も醜い話です。見たくもないけれど女性セブンの「小澤征爾氏の30億円資産を巡って家族が分断 小澤征悦、姉、母が対立」が目に入りました。しょうがないな、と思います。
北米でも当然、そのような闘いをしているケースはあり、私の身近なファミリーも大バトルで訴訟合戦もありました。遺産の額が桁違いなのですが、思うに当地と日本では若干違いがある気がします。こちらでは基本はファミリーツリーの幹を太くするのが原則。枝分かれすると細くなるので一本の太い本家を作ります。日本の場合はそもそも税務署が一番おいしいところをもっていってしまうのでその残りの分け前闘争であってファミリーツリーというほどの発想はないと思います。それこそ長男至上主義なんて言うとやれ儒教だ、やれ昭和の初期の話だということになってしまいます。
相続はある意味、天から降ってきたお金のようなもの。そうなると10万円より15万円、1億円より1億5千万円といった具合で「もっと」という気持ちになるのですが、そもそも「もっと欲しい」という根拠もないのです。なぜなら貰う予定があったわけではなく、遺産がこんなにあったとその時初めて知るだけだからです。それ以上にそんな大金が降り注いで来たら人間、ろくなことに使いません。よく耳にするのは「宝くじに当たると人生、道を踏み外す」点です。遺産をもらっても今までのつつましい生活を続けられますか?そのお金を私腹に肥やすのか、もっと別の使い方を考える賢人になれるか、性格が出ると思います。ブーマー層を背景にした相続と世代替わりが進む中、あまり見たくない喜怒哀楽があちらこちらで起きるのでしょう。
後記
今週日曜日(日本時間月曜日)にアカデミー賞の発表があり、4部門にノミネートされている「ドライブ マイ カー」の受賞に期待がかかっています。下馬評も高いようで良い結果を期待したいところです。この作品の原作は村上春樹氏の短編小説。そういえば彼もノーベル文学賞から少しずつ遠ざかっているような感じもしますが、この作品の受賞が起爆剤となればファンにはたまらないでしょう。作品の背景は広島。原爆のイメージが強いことは今の社会情勢にマッチしているし、岸田首相の地元でもあります。広島にスポットライトが当たるのでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年3月26日の記事より転載させていただきました。
文・岡本 裕明/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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