学級崩壊って増えてるの?と思った方もおありかと思うのだが、私の周りで増えているように見える。そうとしか言いようがない。

学級崩壊の統計もないし、あったとしてもいじめ調査みたいな恣意的な調査となるであろう。いじめに関しては、死者が出ても「いじめはなかった」と言い張る教委もあるくらいだし。

なぜコロナ禍と関係なく学級崩壊が増えているのか
(画像=takasuu/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

先日訪問した小学校は10クラスしかないのだが、うち3クラスが児童のコントロールが効いていない様子だった。学級崩壊の定義はさまざまだが、教員の通常の指示ですら通っていないという意味では、学級崩壊に近いだろう。他のクラスの教員から話を聞くと、その教員たちは毎年そんなかんじの学級経営になるとのことである。コロナ禍の影響ではないようだ。

二種類ある学級崩壊のパターン

小学校の学級崩壊といっても、二種類ある。

ひとつは児童(だいたい複数人。ひとりではまず崩壊しない)に問題がある場合。もうひとつは教師に問題がある場合。

この差はちょっと見ただけでは分からない。

前者の学級崩壊は、もらい事故のようなもので、教員をやっていたら人生で何度かは覚悟しなくてはならない。カリスマ先生・実力者でもない限り、その一年間、大過なく乗り切れれば御の字だ。それ以上の成果を望もうとすると、教員のほうが病院送りにされる可能性すらある。

問題は後者の場合である。

教員の指導力不足による学級崩壊とその対処方法

これは教員のコミュニケーション能力の不足によって引き起こされている。

コミュニケーション能力というと、教員採用試験の倍率が下がって魅力的な人材が採れなくなったとお思いかもしれないが、そんな高度な「人間力」ではない。

ようは「指示」と「その徹底」である。

学級経営とはその繰り返しである。はっきりいって、4月のそのアンカリング(条件付け)の機会のためにあるといってよい。(黄金の三日間という呼ばれ方もあるが、ふつうは三日間では済まない)

「指示」は短くわかりやすく、そして指示したからには「その指示が徹底」されなくては、児童生徒は「この先生の言うことは聞かなくていいんだ」と早々に学習してしまう。

学力や知識はその次である。こちらがへんに(高尚な)知識を授けるところと勘違いしていると、「子供たちの学習の姿勢がなっとらん」「家庭のしつけがなっとらん」と自分の至らない学級経営を正当化しかねない。

しかし、「指示」と「その徹底」はよほどのことがなければ誰でも再現可能なスキルである。

後者の学級崩壊の場合、これがまったくできていないのである。