最大のコスト高は「見栄」
異論はあるかもしれないが、「見栄」にこそ最大の理由があると思っている。
「職場の通勤時間を減らして、余暇時間を副業にあてることで高い家賃をペイする」といった経済的合理性を追求する人物もいるかもしれないが、どちらかといえば少数派だろう。「見栄」とは端的に言えば自己承認欲求を満たすものであり、誰かに「すごい」と言ってもらうため消費のことだ。
厄介なことに都心に住む人ほど「見栄」を張りたくなる欲求、これを刺激される環境に身を置くことになるのである。筆者は東京に住んでいた頃、同僚の間で「広尾に住んでいる」「東京湾沿いのタワマン住み」などと、住んでいるエリアのPRをする人物を見てきた。住んでいるエリアで自己アイデンティティを保つ人たちの間に身を置くことで、「自分もそれなりの場所に住まなければ」と、無意識な影響を受けてしまう可能性は否定できない。
だが、経済的合理性の観点だけで言えば「見栄」など徹底的に無価値である。住んでいるエリアを誇ることで、相手から尊敬の眼差しを得られるかもしれない。だが、その時間はせいぜい数秒間だ。見栄を張るだけで、ベラボウに高い固定費を抱えてしまう論理的な必然性など、どこにもないのではないだろうか。…否、もしかしたら筆者には理解できないだけで、そうした人たちにとっては「ペイできるコスト」なのかもしれない。これは個人的な想像の域を出ないため、断定は避けたい。
また、デメリットはコスト高に留まらない。「自分は裕福である」と他人に吹聴することには、嫉妬されて嫌われたり、お金を貸してくれと言われてしまうリスクを負うことになる。最悪のリスクは、泥棒に入られてしまうことだろう。さらに、一度でも「自分は一等地に住んでいる」などと言ってしまうと、もはやそこからグレードを下げることなど不可能になる。これは自らの意思で「コスト高」の状態で自縄自縛になっているように思える。
リモワ全盛期は収入を増やして固定費を減らせ
「相手は自分を値踏みしてくるから、相応のエリアに住まなければならない」といった論理もあるだろう。確かにそういった不文律の存在は認める。昔から「足元を見る」という言葉があるように「身なりや、身につけているものをチェックする」という事実は依然として存在する。
だが、これからのリモート全盛期の時代においては、その傾向は薄まると考える。むしろ、この流れに乗ることで「収入を増やしつつ、生活レベルはそのまま」という新たな選択肢を持てるのではないだろうか。
筆者は会社員時代、住む場所のジレンマに陥っていた時期があった。できるだけ広くて快適な家に住みたいが、勤務先の近くを選ぶと、ベラボウな家賃になってしまう。手頃な価格のマンションに住むと、長距離通勤になり、それは避けたい。
しかし、起業して地方移住したことで、このジレンマから完全に開放された。現在はほぼ自宅で仕事をしている状態だ。筆者は現在、誰か人を招待して羨望の的になるような、レインボーブリッジの見える部屋には住んでいない。だが、地方に住んでいるので庭は広大であり、子供とサッカーをしたり、親子で短距離走ができるくらいの敷地はある。そして全体的な固定費は、会社員時代よりも下がった。子育てをする立場としては、夜景のきれいなタワマンより、子供と一緒にボール遊びのできる広い庭に価値を感じるのである。
これは会社員でも同じことが言える。専門職の高いスキルがあれば、フルリモートの企業で働く選択肢も持てるだろう。たとえばそうした職業の筆頭としては、ITエンジニアなどがあげられる。そうした職業は待遇も悪くない傾向だ。ちなみに上述の30代前半男性も、フルリモート勤務のITエンジニアをやっており、気分転換で海の見える場所で仕事をすることもあるようだ。
「年収1000万タワマン住みなのに、貯金ゼロ!?」といった記事を見るたび、「生活レベルをあげてしまう魔力に誘われてはいけない」と改めて感じてしまう。
文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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