すべてが1つにつながった!
楕円曲線とモジュラー形式は、数論と位相幾何学というまるでなんの関わりもない別分野の問題です。
確かに2つの問題は、E系列、M系列という似たような数列でその性質を表現します。しかし、同じ数学ではあっても、もはやそれは別の科目とみなせるくらい数学者にとっては全然無関係の学問だったのです。
そのため、谷山が最初にこれらは同じ概念を論じているのではないか? と言ったとき誰も信じられなかったのです。ただ、志村五郎を除いては。
「君の意見では、いくつかの楕円曲線とモジュラー形式が関連付けられると言うんだね?」ある高名な数学者に疑うように尋ねられた志村は、こう答えたそうです。「いいえ、そうではありません。いくつかではなく、すべての楕円曲線です」
そして志村は、必死の研究の果てに、谷山の驚きのアイデアを理論付けして「谷山-志村予想」として発表します。
「見事な予想でした。どの楕円曲線にも1つのモジュラーが付随しているというのですから」
ハーバード大学教授のバリー・メーザーは、「谷山-志村予想」をそのように語っています。
ある領域で解決できない問題が、別領域の問題に変換可能で、新しい領域のテクニックによって解決可能できるかもしれない、それは革命的なアイデアでした。世界中の数学者がこの予想の虜になったのです。
そして1984年、ついにこの問題がフェルマーの最終定理と結びつきます。ドイツの数学者ゲルハルト・フライが驚くべき発見を発表したのです。
それは「フェルマーの最終定理に登場する『xn + yn = zn』は楕円曲線に変換可能だ」というものでした。フライはもし仮にフェルマーの最終定理に解が存在するとしたら、という仮定から1つの楕円方程式を作り上げたのです。
その後、カリフォルニア大学バークレー校の教授ケン・リベットが極めて重要な証明を成功させます。それは「フライの楕円曲線は異常すぎてモジュラーにはならない」というものでした。
二人の数学者の仕事は次の事実を明らかにしました。「フェルマーの最終定理に解が存在した場合、それは楕円曲線に変換可能であり、そこには付随するモジュラーが存在しない」
これはつまり、すべての楕円曲線には付随したモジュラーが存在するという「谷山-志村予想」が事実ならば、フェルマーの最終定理には解が存在しないことを意味しています。
まったく異なる分野で議論されていた数学の問題が、このとき数世紀に渡る難問の解決とつながったのです。
360年の難問が解けた!
こうして解決の糸口さえもつかめなかった「フェルマーの最終定理」を証明する道具はすべて揃いました。
大学院でフェルマーの最終定理の研究を断念し、楕円曲線の研究を行っていたワイルズは運命を感じたかもしれません。
亡くなった友人の意志を継ぎアイデアを形にした志村五郎、フェルマーの式を楕円曲線に変えたゲルハルト・フライ、そのフライの楕円曲線がモジュラーでないことを証明したケン・リベット、数々の数学者たちの偉業の果てに、問題は1つに繋がりました。
そしてアンドリュー・ワイルズが「谷山-志村予想」を証明することで、フェルマーの最終定理は最終的な解決を迎えたのです。
ワイルズはこの証明に、実に7年もの歳月をかけました。それは1995年、フェルマーの問題が発見されてから実に360年後のことでした。
多くの数学者たちを悩ませた問題を解いたのは、10歳のときこの問題に出会い数学の道を志した1人の少年でした。彼は30年越しにその夢を叶えたのです。
ケンブリッジ大学で行われたこの証明に対するワイルズの講演には、リベットやメーザーなどそこに至るまでに関わった著名な数学者たちが数多く集まっていたといいます。
ワイルズはこのときのことを次のように思い返しています。
「証明を口にすると、なんとも言えない威厳に満ちた静寂が訪れました。私は黒板にフェルマーの最終定理を書き、こう言ったのです。『ここで終わりにしたいと思います』喝采が沸き起こりいつまでもやみませんでした」
フェルマーの最終定理は「谷山-志村予想」の証明によって幕を降ろしました。実際数学者の多くはフェルマーの最終定理が解決されたことより、「谷山-志村予想」が証明されたことのほうが意義が大きいと考えています。
しかし、当時の報道ではフェルマーの最終定理が大きく取り沙汰され、この二人の日本人数学者の偉業については、ほとんどメディアで触れられることがありませんでした。
友人の死後、35年を経てその予想が証明されたことの感想を尋ねられた志村吾郎は、穏やかに微笑んでこう答えたといいます。
「だから言ったでしょう」