EUと2015年の難民危機

EU側には、2015年の難民危機の再来を避けたいという思いがあった。

当時、政情不安や内戦が続く中東やアフリカなどから難民・移民ら100万人以上が域内に殺到した。

EU加盟国には「難民がEU域内を目指す時、最初に入った国で難民申請をしなければならない」という「ダブリン協定」の遵守義務があるが、15年当時、難民らが最初に行き着くギリシャやイタリアなどに過重な負担がかかることになった。また、通過国となった国例えば反移民のオルバン大統領が統治するハンガリーは、国境にフェンスを建設するなど流入阻止策を導入した。

難民の大流入によって、EU各国では反移民を掲げるポピュリズムが台頭し、受け入れに積極的だったメルケル首相(当時)率いるドイツでは、難民問題が政権交代につながったと言われている。

EUの基本原則は域内の人・モノ・サービスの自由な往来だが、15年の難民流入、同年秋のパリ同時多発テロの発生で、国境検査なしで自由に行き来ができる「シェンゲン協定」を締結した国の中でさえも一時的に国境の再導入措置が取られた。難民・移民問題を通して、EUは一枚岩ではないことが可視化された。

ベラルーシ・ルカシェンコ政権がEUの弱みを突いてきたという見方は、当たっていると言えよう。難民らは政治の道具になってしまった。

英ガーディアン紙によると、昨年末までにポーランドに向かう途中で少なくとも19人が死亡し、そのほとんどが凍死だった。

ドーバー海峡の悲劇

11月末、英仏間でも欧州に向かう人々の身に悲劇が起きた。フランス北部から英国へ向かう、難民らを乗せた船がドーバー海峡近くで転覆し、少なくとも27人が死亡したのである。これまでにも問題視されてきた英仏間の密航だが、これほどの数の密航者が命を落とすことは珍しい。

英BBCの試算によると、昨年1年間で小型ボートに乗ってフランスから英国に密航した人は約2万8400人で、一昨年の約8400人から急増。1日当たりの密航者数は最大で1185人だった。