中国、アルジェリアに続いてモロッコへの布石の開始
中国は北アフリカのマグリブでの影響力拡大に積極的な動きを開始している。マグリブとはチュニジア、モロッコ、アルジェリアの3か国を意味する地域のこと。
中国が意表を突く外交を展開し始めたのは、これまで米国の影響力の強いモロッコに中国が積極的な動きを開始したからである。これまでマグリブ地域で中国はアルジェリアと親密な関係を保ち、一方の米国はモロッコと強い絆で結ばれていた。しかも、アルジェリアとモロッコは対立関係にある。
モロッコが元スペイン領土だった西サハラの領有権を主張しているのに対し、アルジェリアは西サハラを独立国家にするための支持を表明して来た。
この両国の対立を無視するかのように中国はモロッコにもアルジェリアと同様の布石を築き始めたのである。
米国がこれまでモロッコを支援して来た背景
米国はトランプ氏の大統領の任期満了近くになって急遽西サハラにおけるモロッコの主権を認める発言をした。それはイスラエルとモロッコの国交を正常化させる狙いが背後に含まれていた。その見返りとして米国はモロッコに30億ドルの投資を約束。
これまでモロッコと西サハラの紛争は1991年の国連の仲介で独立か、モロッコに帰属か、西サハラの住民による投票を実施するということになっていた。しかし、実際には今もモロッコの実行支配が続いている。西サハラにはリン酸塩、原油、ガス、ウラニウム、銅など地下資源に恵まれており、また豊富な漁場地域でもある。だからモロッコにとって西サハラは手放せないのである。
西サハラをモロッコが支配する切っ掛けをつくったのはムハンマド6世の父親ハサン2世が米国の支援もあって1975年11月に当時スペイン領だった西サハラに侵攻したのが起因だ。米国がモロッコを支援したのも地政学的に隣国のアルジェリアがソ連の影響下にあったからである。
当時のスペインは紛争を避けるためにモロッコとモーリタニアの間で西サハラの領土を分割させることで合意。その後、モーリタニアは分割して得た領土を放棄。ということから西サハラはモロッコの統治下に入った。
このような機縁があってモロッコは米国と強い絆で結ばれていた。そのひとつに、米国がイラクに軍事進攻した時もモロッコは軍隊を派遣した。また米国の独立を最初に承認した国が1777年のモロッコであった。
モロッコは米国との強い絆もあって、スペインのロタ市にあるアメリカアフリカ軍の基地をモロッコに移すように誘っている。