実際に行ってきました!パークス天文台の訪問レポート
ここからは、月面歩行のテレビ中継当時に大活躍をしたオーストラリアのパークス天文台から現地レポートをお届けします!
ビジターセンターにはアポロ11号をはじめ、アポロ12-17号、ハレー彗星を観測したジオット衛星、木星を観測したガリレオ衛星、天王星と海王星を観測したヴォヤジャー2号の運用に関するパネルが展示されています。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)

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展示室には、CWAS(Central West Astronomical Society)が開催するアストロフェスの天文写真コンテストの受賞作品約30点も飾られていました。どれも息を呑むほどの美しさ!優秀な作品には世界で有名な天文写真家の名を冠したデイビッド・マリン(David Malin)賞が贈られます。
外に出ると、電波望遠鏡のお皿の部分に使用されているパネルやロック界のスターであるエルビス・プレスリーとコラボしたカフェなどがあります。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)

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パークス天文台には、「電波天文学の父」と呼ばれるグロート・レーバー(Grote Reber)氏の遺灰も眠っています。1937年に自作で電波望遠鏡を製作し、天の川より電波が放射されているとする理論を実験で検証した人物です。1940年代には全天の電波周波数分布を示す地図も作成しました。40台半ばでアメリカからオーストラリアのタスマニア州に移住し、電波天文学の発展に貢献した彼の遺灰は、パークス天文台に限らず、アメリカ、イギリス、オランダ、カナダ、フィンランド、プエトリコ、ロシアの電波天文台施設にも埋められています。電波天文学による宇宙の謎の解明を、各地で温かく見守ってくれているのですね。
パークス天文台から約100キロメートル北にあるナロマイン航空博物館

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
パークス天文台から車で約1時間離れた場所に、世界中のグライダーパイロットが集まるナロマイン(Narromine)滑空場という飛行場があります。北半球にあるヨーロッパが冬のとき、南半球にあるオーストラリアは夏のため、日本の秋から冬にかけた時期、ナロマインには1年中フライトを楽しもうと考えるグライダーパイロットがオランダ、スイス、スペイン、ドイツ、チェコ、中国などの国々から集まります。私が出会ったオランダ人のカップルは2人とも旅客機B767機長で、普段はバス(ジャンボジェット機)を運転していますが、毎年お正月の休暇にはスポーツカー(グライダーの高性能機)を運転しに行くくらいの感覚でナロマインを訪れているとのこと。気候条件などの最適な環境を地球規模で探し、地球規模で遊ぶ彼らの考え方にいたく感動しますね!

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
滑空場の近くにあるナロマイン航空博物館を訪れました。ナロマイン飛行場は1939年、王立オーストラリア空軍(RAAF)の現地調査を受け、1940年から軍の飛行訓練地として使われました。第二次世界大戦、ドイツと戦うために王立オーストラリア空軍はここで約2850人のパイロットを養成しました。そのなかでも、当時差別に打ち勝った、オーストラリアで唯一の先住民族アボリジニ戦闘機パイロットのレン・ウォーターズ(Leonard Waters)准士官が有名です。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
博物館には飛行場の歴史、世界で唯一飛ぶライトフライヤー号のレプリカ、高度計やブラックボックスといった計器、昔の日焼け止め、2015年にナロマインで開催されたグライダーのジュニア大会などの展示が飾られています。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
1967年、全エアラインの航空機にブラックボックス装着を義務付けたのはオーストラリアが初でした。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
オーストラリアで初の女性商業パイロットとして活躍したのはナンシー・バード(Nancy Bird)氏です。2008年、彼女の功績を称え、カンタス航空に納入されたエアバス社A380の機体は“Nancy Bird Walton”と命名されました。

(Photographer:Sue Stafford, for Powerhouse Museum)
Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
次にご紹介するのは、シェイクスピアの『The Tempest(あらし)』で空気の妖精アリエルが発する台詞の一部が描かれているベニヤ板です。「ごきげんよう旦那様 やってまいりました あなたの御命令とあれば何でもいたします 空を駆け回り、海を泳ぎ 火の中に飛び込み 雲に乗り なんでもあなたさまのいいつけどおりに 全力を尽くします」の”To ride on the curled cloud(雲に乗り)”が引用されています。1950年、あるパイロットがナロマインで高度記録に挑み、墜落した機体から回収されたものです。1万フィート以上の飛行では酸素ボンベが必要にも関わらず、そのパイロットは酸素ボンベを携行しませんでした。命は助かったものの低酸素症に苦しみ、やがて機体を墜落させてしまいます。このベニヤ板は、パイロットの挑戦に対する意気込みを示した言葉でした。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)