アポロ計画に続く月面探査計画として注目が集まるアルテミス計画に、日本はどのように参画し、何が変わっていくのでしょうか。4度の宇宙飛行経験を持つ、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙飛行士である若田光一さんに宇宙ライターの井上が伺いました。
培った技術と信頼の積み重ねが活きるアルテミス計画
―まずは、若田さんが宇宙飛行士を志されたきっかけを教えていただけますか?

宇宙への憧れを感じたのは、アポロ11号が月に降り立った1969年7月のこと。私は5歳でした。しかし、当時宇宙に行けたのは旧ソ連や米国の宇宙飛行士だけ。幼心にも日本人が宇宙で仕事ができるとは思ってもおらず、私は航空機のエンジニアを目指したのですが、結果的にその経験を活かして宇宙飛行士になることができました。
―宇宙や航空関連に関心を持たれたきっかけは、アポロ計画の月面着陸だったんですね! では、アポロ計画に憧れをいただいた若田さんが宇宙飛行士になった今、あらためて振り返ってみて、アポロ計画はどのような意味があったのでしょうか。
ロケットや宇宙船の材料、コンピュータの能力など、宇宙飛行を支えるさまざまな基礎技術から、それを統合するシステム工学までが発展しました。さらに、宇宙開発を進めたい各国政府の予算獲得から関連産業の支援にいたるまで大きな影響を与えたと思います。
―アルテミス計画についてはいかがですか?
アポロ計画から50年が経ち始動しているアルテミス計画は、“Back to the Moon”ではなく、 “Forward to the Moon”と言われている通り、人類の活動領域を新たに展開していくとても意義のある計画です。
―日本政府もアルテミス計画への参画を決めましたね。
そうですね。今となっては日本人宇宙飛行士が宇宙に行けるのは当たり前のことだと感じている方もいらっしゃるかもしれませんが、65年前のペンシルロケットの実験に始まり、宇宙活動を行うための技術を積み上げ、宇宙科学の探究に果敢に取り組み、一歩一歩実績を挙げてきたことが日本の宇宙活動に対する信頼につながり、米国からもアルテミス計画への参画を歓迎されていることにいたっているのだと思います。
―50年前はテレビで月面着陸を見るのみだった日本も、今は宇宙開発において存在感を示せているということですね。
例えば、国際宇宙ステーション(ISS)については、1984年に米国レーガン大統領が計画を提唱し、ヨーロッパ、カナダと共に日本も参画を決め、開発が始まり、その後ロシアも計画に加わりました。2009年には「きぼう」日本実験棟の軌道上組立てが完了し、世界をリードする利用成果を創出しています。さらに宇宙ステーション補給機「こうのとり」は9回連続、全てのISSへの補給ミッションに成功。米国やロシアの物資輸送機がロケット事故等でISSに到達できなかった時にも、「こうのとり」が着実にISSへ物資を届け、ISSの運用を安定して継続することに寄与するできました。
さらには、小惑星探査機「はやぶさ」と「はやぶさ2」をはじめとする宇宙探査においても日本が世界に誇れる成果が生まれてきています。日本がアルテミス計画に参加することには、日本が優位性を有する技術で寄与すると共に、科学的な探査活動を通して人類の知的資産の創出に貢献する点でも意義があります。
国際協力は、実は“協力”だけでは成立しません。参加各国が同じ土俵に立つための技術を有する必要があり、競争と協力のバランスが重要です。各国が切磋琢磨し合いながら、技術を磨き、それを持ち寄って協力することで、人類全体として享受できる優れた成果が出てくるのだと思います。
―アルテミス計画で期待されている日本の役割を教えてください。
日本は4つの技術を柱として据えています。1つは、宇宙船の中で二酸化炭素を吸着して除去するシステムに代表される「有人宇宙滞在技術」です。2つ目は、月周回有人拠点ゲートウェイに物資を運ぶための「深宇宙補給技術」です。「こうのとり」で培った技術を活かして、深宇宙での物資補給に参画していきます。

Credit : JAXA、『宙畑』より引用)
宙畑メモ
日本は、「こうのとり」の後継機である新型宇宙ステーション補給機「HTV-X」を、2022年度初回打ち上げを目指して開発を進めています。

Credit : JAXA、『宙畑』より引用)
3つ目は、「重力天体離着陸技術」です。2022年度に打ち上げ予定の小型月着陸実証機「SLIM」は、月面の降りたい場所に降りるためのピンポイント着陸技術を実証します。この技術を活用して国際宇宙探査に参画していくというわけです。

Credit : トヨタ自動車、『宙畑』より引用)
4つ目は、「重力天体探査技術」。月面の広範囲に渡る探査を持続的に進めていくために、昨年からJAXAはトヨタ自動車と共同で有人与圧ローバーの研究開発を行っています。
以上挙げた4つは日本の優位性あるいは波及性が高い技術であり、今後の国際宇宙探査の発展において日本が大きく寄与できる重要な柱です。こういった技術を使って私たちは国際宇宙探査、アルテミス計画に参画していきます。
月面着陸の映像をリアルタイムで見た衝撃はいかほどだったのか、できればタイムスリップをして戻りたいものです。物心がついたときにはアポロ計画はすでに過去の偉業として歴史の教科書に乗り、国際宇宙ステーション(ISS)に宇宙飛行士が常に滞在しているということが普通であるという人も多い現代において、新しい月面計画であるアルテミス計画に求められていることとは。ISSと月周回有人拠点ゲートウェイの違いという観点から若田さんに聞いてみました。
ISSとゲートウェイの二刀流で宇宙を使い尽くす
―アルテミス計画において重要な役割を担う「月周回有人拠点ゲートウェイ」は、ISSとはどのような違いがあるのでしょうか。
ISSとゲートウェイは、両方とも広義の意味では同じ宇宙ステーションです。ISSは地球の周り高度約400キロメートルの円軌道を飛んでいます。

Credit : JAXA/NASA、『宙畑』より引用)
一方、ゲートウェイは月を周回するいくつかの異なった軌道を取ることができますが、その代表的な軌道は、月に近いところでは約4000キロメートル、遠いところでは約7万5000キロメートルの大きな楕円軌道で、地球や月南極域との通信にとっても都合の良い軌道です。

Credit : NASA、『宙畑』より引用)
また、ゲートウェイの質量は約70トンで約420トンのISSと比較してもかなり小さくなります。やはり月周回軌道まで物資を運ぶには、大型ロケットが必要で、打上げコストも大きくなるので、ゲートウェイは、月面に降り立つための中継拠点といった必要最小限の機能を有するコンパクトなものに必然的になります。
実際の月面有人ミッションでは、地球からの往路では米国のオリオン宇宙船でゲートウェイに到着した後、月着陸機に乗り換えて月面に降り立ち、帰路はゲートウェイに戻り、オリオン宇宙船に乗り換えて地球に帰還する流れになります。ISSは6〜7人体制なのに対して、オリオン宇宙船とゲートウェイは4人乗りですし、初期の段階では、宇宙飛行士が年間を通してゲートウェイに常駐することにはなっていないんです。
―ISSとゲートウェイの使い分けはどのようになるのでしょうか。

Credit : JAXA/NASA、『宙畑』より引用)
ISSの「きぼう」日本実験棟では、新しい薬を開発するためのタンパク質の結晶生成実験や、マウスを飼育して骨粗鬆症に似た状態がどうして起きるのかなどを調べ、健康長寿社会の実現に寄与するための研究等、無重量環境を利用した実験・研究を行っています。
一方ゲートウェイは、その名の通り、月面や火星への中継拠点という役割に加え、地球周辺観測や放射線環境評価といった地球圏外の軌道を利用する観測などを行います。
―ISSとゲートウェイで実験の内容が違うということですね。
そうですね。実験装置の輸送コストを考慮すると、無重量環境のみを利用する実験や地球低軌道で行える地球や宇宙観測はISSで行い、地球圏外の軌道固有の宇宙環境が必要な実験や観測はゲートウェイで行うことが、合理的であり、ISSとゲートウェイのそれぞれの利点とコスパを考慮した利用を行う必要があります。
例えば、創薬のための無重量環境を利用したタンパク質結晶生成実験を行うなら、地球低軌道上にあるISSを選んだ方がコストは安くなります。さらに、ISSは月面で必要となる技術を実証するプラットフォームとしても重要です。ISSの「きぼう」日本実験棟の中にあるCBEFという細胞培養実験装置は、重力をコントロールできる回転テーブルがついているため、月の1/6Gや火星の1/3Gという重力環境を作り出せるので、月や火星で必要な技術の軌道上実証を行うためにもISSは重要な実験研究施設と言えます。
―ISSには運用期間や民間活用の促進についても現在議論されていると聞いています。
現在ISSは、日本、米国、カナダ、ロシア、ヨーロッパの5極、合計15カ国の協力の下で運用されています。現時点で2024年まで運用を継続することが決まっており、現在参加各国が2028年あるいは2030年まで運用を延長することの検討を行っています。日本国内においても、ISSの運用を延長する必要性や今後の地球低軌道の利用方針について議論が深まっているところです。
ISSは現在唯一の優れた有人実験施設であり、その能力を活用して利用成果を最大化し、使い尽くしていくのと同時に、ゲートウェイを構築して月面探査を持続的に継続していく……ISSとゲートウェイのそれぞれの優れた利点を生かし、かつ、相互に補い合うような形で有人宇宙活動と宇宙環境利用を進めていくことが重要だと思います。
若田さんから火星という言葉もインタビュー中に何度か出てきました。アポロ計画では月面に着陸することが大きな目標であったことに対して、アルテミス計画はあくまで今後の宇宙開発、人類の活動領域を拡げるための作戦であり、ゲートウェイはその名の通り中継地点であるということをあらためて認識できました。では、アポロ計画から50年の月日を経て、月面着陸をただテレビで眺めるばかりであった私たちはアルテミス計画にどのような形で参加できるのか。その可能性を最後に聞いてみました。