目次
・オランダから日本に辿り着いた幻の司令船!?
・アポロ1号の司令船~Ad Astra Per Astera「困難を越えて星のように輝く」~
・オランダから日本に辿り着いた幻の司令船!?
2017年夏のとある日、欧州宇宙機関に勤める知り合いの方から筆者へ一通のメールが届きました。「オランダがかつて所有していた司令船が日本にあると聞いた。それが今どこにあるか知ってるか?」
インターネットで検索してもなかなか答えは見つからず。「日本の万博でも飾られていたようだ…」という曖昧な情報も加わって、当時の展示目録に目を通すも見当たらず。途方に暮れているところ、ある人のブログを読むとどうやら、それらしきものが福岡県のテーマパーク「スペースワールド」にあることが判明。すると、な、なんと、2017年12月にスペースワールドが27年間営業の幕を閉じるとのこと!真相を確かめるべく、11月に駆け込みでスペースワールドを訪れたのは2年前のことでした。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
スペースワールド「宇宙博物館」には、宇宙マニアにはたまらない、本物のミッションで使われた展示物が数多く飾られていました。閉園がなんと惜しまれたこと!

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
宇宙博物館を訪れると、展示室に怪しく佇むカプセルを発見!展示の横には「製造元であったアメリカのロックウェル・インターナショナル社から、1986年のオランダの宇宙博用に譲られ、オランダ宇宙関係者(Dr.Titulaer)の御厚意で福岡県スペースワールドが譲り受けたものです」との説明書きがありました。ちなみに、ロックウェル・インターナショナル社は現ボーイング社です。

(高さ323センチメートル/底辺の直径310センチメートル)
Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
展示室にはカプセル以外にも、アポロ=ソユーズ計画で使われた司令船のパラシュート収納部カバーやアポロ6号のハッチが展示されていました。貴重なコレクションが大集合!スペースワールドのこだわりを感じることができます。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
さて、展示の説明にあった「オランダ宇宙関係者(Dr.Titulaer)」とは、どんな人物だったのでしょうか?クリエット・ティツラボーン(Chriet Titulaerborn)博士はオランダの有名な天文学者でした。アメリカとフランスでそれぞれ2年間過ごした後、オランダに帰国し、科学技術分野のラジオやテレビ番組の司会者として活躍しました。アポロ11号月面着陸の生中継番組で人気を博すようになり、1981年にはスペースシャトル「コロンビア号」の初打ち上げの司会も務めています。

Credit : HISTORIEK、『宙畑』より引用)
1970年代にアポロ計画が打ち切られ、ロックウェル・インターナショナル社の工場を訪れると、そこにはアポロ計画中止で未完成となった司令船カプセルがありました。そこまでの製造コストはおよそ1千万ドル(当時約36億円)。冗談でティツラボーン博士は1ドルで買い取るよと伝えるとロックウェル・インターナショナル社の代表者が真に受け、購入手続きを進めたのでした。そこに居合わせたオランダ航空会社マーティンエアの社長は、カプセルを自社の旅客機ボーイング747に積むことを提案しましたが飛行機のドアが小さすぎたため、結局、司令船は船でオランダまで輸送されることに。その後、司令船は博士の裏庭に長年飾られていました。あるとき日本人がやってきて、3万ギルダー(当時約200万円)で司令船を購入したいとの相談を受け、司令船が日本に渡ってきたのでした。


Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
・アポロ1号の司令船~Ad Astra Per Astera「困難を越えて星のように輝く」~
最後にご紹介するのは1967年1月27日、アポロ1号の火災事故で焼け焦げた司令船の残骸です。ケネディ・スペース・センターには、アポロ1号、そして後のスペースシャトル事故で亡くなった宇宙飛行士を追悼する、ラテン語で”Ad Astra Per Astera(A Rough Road Leads to the Stars)”という名の展示室があります。そのラテン語は「困難を克服して栄光を獲得する」、「困難を乗り越えて星のように輝く」などの意味を持ちます。
司令船の当初のデザインは、2枚ドア(ハッチ)で、外ハッチは外向き、内ハッチは内向きに開閉するものでした。地上試験中にアポロ1号の火災事故が起こった際、カプセル内に充填した燃焼ガスの圧力でハッチが開けられず、3名の宇宙飛行士が犠牲となりました。当初のハッチの設計要求は「60-90秒以内に施錠を解除し、ドアを開け退出できること」でしたが、事故後は「ドアを3秒で開け、30秒以内に退出できること」と大幅に変更されました。アポロ7号から始まる有人宇宙飛行では、改良されたハッチが使用されました。
司令船の展示の横には、事故が起きた日に出勤し、救出のため最大限力を振り絞ったNASAと司令船を製造したノース・アメリカン・アビエーション社の職員33名の退勤カードが展示されています。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
今回の連載記事では、大気圏再突入という過酷な環境を耐え、毎回地球に戻ってきた司令船に着目しました。ドア(ハッチ)の設計ひとつをとっても、人命が左右される有人宇宙船開発の難しさが伝わってきます。また、「地球の出」を撮影したアポロ8号にも搭乗したジェームズ・ラベル宇宙飛行士の初志貫徹する精神についても知ることができました。そして、アポロ計画が打ち切られ、未完成となった司令船が日本の福岡県にどのように辿り着いたのか、あまり知られていない日本とオランダの物語をご紹介しました。今回の記事でご紹介した現在展示中の司令船も、機会があればぜひ見てみてくださいね。
提供元・宙畑
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