半年余りですでに4人の首相が誕生

学校の教師からペルーの大統領になった共産主義者のペドロ・カスティージョ氏の最初の内閣が誕生した昨年7月29日に最初の内閣が誕生してから僅か194日しか経過していないのにもう第4次内閣が誕生することになった。

これまで4人の首相が誕生し閣僚も頻繁に交代したという現象を前に、オンブズマンのウォルター・グティエレス氏は「カスティージョ大統領は極左ではない。そうではなく極度に役に立たない(大統領だ)ということだ」とCNNのインタビューにて答えた。(2月8日付パナム・ポスト」から引用)。

昨年10月9日には第2次内閣が誕生し、今年2月1日に第3次内閣が誕生した。が、その第3次内閣を率いることになっていた首相のヘクトル・バレール氏が大統領から首班に指名されて3日後に辞任した。理由は彼の妻と娘に暴力を振るっていたことが明るみになり、しかも彼の精神状態をテストした精神科医と彼が住んでいた建物の住人が彼をそこから追い出す為の署名を集めるという出来事があったことが判明したからである。ということでカスティージョ大統領は新たな組閣に入ることを表明した。

そして2月8日、4人目の首相が誕生して第4次内閣が組閣しされた。

これまでの経過から判断して、野党はカスティージョ大統領自身を罷免する動きを再び開始していることから第4次内閣が議会で承認されるのは容易ではなくなる。

大統領を囲む側近の影響力が大

第1次内閣から辿った経緯を以下に説明したい。最初の内閣はペルーのテロ組織だったセンデロ・ルミノソを擁護していたギド・ベリード氏を首相にし、閣僚の中にも同テロ組織の支持者や過激派がいた。ところがそれでは各議案の議会での承認を得るのは難しいとカスティージョ大統領は判断。またべリード氏も大統領の意向に背くような発言が目立つようになっていた。その一方ではカスティージョ大統領が政権を担う能力はないとして罷免しようとする動きが野党の間で起きていた。

そこでカスティージョ大統領は政権継続の為に野党からも支持を得ようとして首相だったべリード氏を始め過激派の閣僚を解任。そして中道穏健派のミルタ・バスケス氏を首相に任命して第2次内閣を誕生させた。

ところが国家警察の汚職を指摘したアベリーノ・ギリェン内務相は国家警察のトップであるハビエル・ガリャルド氏を解任させて同内務相の意向に沿う人物を起用したいとしていた。ところが、カスティージョ大統領はそれに同意しなかった。ということで、ギリェン内務相は同大統領が汚職の撲滅に協力する意思がないと判断して辞表を提出。大統領はギリェン内務相の後任としてアルフォンソ・チャバリー氏を首相のミルタ・バスケス氏に推挙したが、同氏は前科があるとして首相は拒否。その後も大統領と首相との間で協議が重ねられたが合意に至らなかったということでミルタ・バスケス氏が首相の職務を辞任した。

彼女は辞任の際にカスティージョ大統領は側近のビベルト・カスティーリョ氏と庶務官ベデル・カマチョ氏から正しいアドバイスを受けていないと言及。だから大統領は理解し難い判断を下していると指摘した。特に、ビベルト・カスティーリョ氏は以前ブラジミル・セロン氏の書記を務めていた人物でアベリーノ・ギリェン内務相が解任させようとした国家警察のトップのハビエル・ガリャルド氏と関係をもっていたということも明らかになっている。だからガリャルド氏の解任を大統領は受理しなかったという説明が成り立つ。

また、大統領がミルタ・バスケス氏を第2次内閣の首相に任命した時にカスティージョ氏を大統領候補者にさせた共産主義者ブラジミル・セロン氏と袂を分かつようになったと思われたが、実際にはそうではなかった。依然セロン氏の大統領への影響力が大統領この二人の側近を介して発揮されているということだ。

率直に言って、カスティージョ氏は政権を担う能力がないということを如実に示していることになる。既に述べたように、野党は再び大統領を罷免する動きを開始しておいる。

3人目の首相に任命されたヘクトル・バレル氏は当初所属していた「我々はペルー」という政党を離党して政党「民主化ペルー」に鞍替えした議員だ。この「民主化ペルー」という政党は大統領が籍を置いて立候補した政党「自由のペルー」から離党した議員が設立した政党だ。ブラジミル・セロン氏が党首を務める「自由のペルー」から別れて作った政党だといってもカスティージョ大統領の罷免には真っ向から反対する姿勢を持っている政党でもある。

ところが、前述しているように首相に任命された3日後に辞任した。

また2月1日には大統領官邸の書記官ハイコ・カランカ氏が辞任した。彼もミルタ・バスケス前首相と同様に大統領の側近が大統領に誤った指示を出していることを指摘している。第3次内閣では経済相だったペドロ・フランケ氏が加わっていない。カスティージョ大統領が共産主義者だということで選挙戦中に企業の国営化に反対するフランケ氏を財務経済相にする意向がるということで企業家を安心させていた。そのフランケ氏も頻繁に替わる政権にはついて行けないとして閣僚になることを辞退したのである。その後任には金融業界ではよく知られ日本と血のつながりのあるオスカル・ミゲル・グラハム・ヤマグチ氏を任命した。

そして2月8日、それまで法相を務めていたアニバル・トーレス氏が大統領より首相に任命された。彼はカスティージョ大統領が大統領選挙で不正を犯したという訴えを退ける弁護士の一人として活躍した人物だった。

今回の第4次内閣では自由のペルーから2人の議員が入閣した。オスカル・ミゲル・グラハム・ヤマグチ氏はこの内閣でも継続することになった。