今週のメルマガ前半部の紹介です。なんだかんだ言いつつも東京五輪が開幕し、日本勢の大躍進もありつつ無事に閉会式を迎えました。無観客にしてオリンピックと日本国内を完全に隔離するというバブル方式もとりあえずは成功したようですね。

一方で、開会式直前に複数のクリエイターが辞任に追い込まれるなど、最後までドタバタが付いて回った負の印象も強く残るイベントでした。

特に開会式作曲担当の小山田圭吾氏の辞任はいろんな意味で象徴的だったように思います。

なぜ氏は25年以上前の発言で辞任に追い込まれたんでしょうか。組織委や本人の危機管理はどうなっていたんでしょうか。ビジネスパーソン的にも教訓の多い話だと思われるのでまとめておきましょう。

大昔のやらかしで吊るし上げられそうになったらどうすべき?と思った時に読む話
(画像=Zeferli/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

なぜ今になって小山田は過去最大級の炎上をしたのか

ネット黎明期を肌で知っている40代以上なら、たぶん小山田問題は昔からなじみのある話だと思いますね。

2000年ごろにネットのいろいろな掲示板で誰でも一度は小山田いじめコピペを目にしたことがあるはずです。筆者も何度か目にした記憶があり、今回問題化した時の第一印象は「ああ、あの話ね。そういえばあったな」というようなものでした。

でも20年前は誰も深くは突っ込まず炎上の気配すらありませんでした。なぜか?誰も小山田なんかに興味なかったからです。

当時すでに彼はメインストリームではなく、コアなファンはいても地上波に出ることもほとんどなかった存在でした。そんなのの「俺は昔はワルでさあ」みたいなコピぺ貼られてもいちいち真贋を確認する人なんていませんからね。

内容のインパクトはすごいけど、絶対に着火はしない永遠の不発弾みたいな存在だったんですよ小山田イジメ問題って。

しかし。20年の月日が流れると状況は一変します。

SNSの登場

たまに「当時はあれが許される空気があった」という人もいますが、筆者はそれは違うと思います。当時だって地上波や新聞といったメジャーなメディアなら一発アウト、そもそも掲載は絶対NGでしょう。

ただ当時はネットがなく各メディアがそれぞれの文脈の中で、それこそバブル方式みたくスタンドアローンしていたわけです。

お金を出して雑誌を買って氏のインタビューを読む層というのは、氏の音楽性やら人となりやらといった文脈を理解した上で、それでその発言も消化していたんだと思います。

そして本人もそうした文脈を理解した上で自身のファン向けに話を“盛った”んでしょう。

ところが現在はSNSというオープンなプラットフォームが定着し、どんなマイナーメディアに掲載されたネタも瞬時に数百万人の目にさらされることになります。

そこには前後の文脈などというものはなく、切り取られた断片が画一化された一つの基準でその良し悪しが判定されることになります。

余談ですがちょっと前に高級ビジネス誌SPA!の「やれる女子大特集」みたいなのが炎上しましたね。アレに連載経験のある筆者が言うのもなんですが、あれよりもっとお下劣な記事なんて昔はいっぱいあったのに、SNSに投下されたもんだから大炎上しちゃったわけですよ。

で中の人に「どんな人が抗議の電話してきたの?やっぱり怒りに声を震わせるうら若き女子大生?」って聞いたら「いや、オッサンでしたよ。それも無職っぽい」って言ってましたね。

SNSというのは、正義マンになりたい(でも実社会には居場所のない)人間が多く徘徊している怖い場所だというのは良い子は覚えておきましょう。