皇居がなければ「都」でないのか
「国会等移転」と日本での首都機能移転はいわれる。「等」には政府や最高裁判所が含まれる。それでは、皇居はどうするのか。
皇居が当然のこととしては、含まれなかったのは、ひとつには、陛下の住む場所を国会や政府が決めるべきでないという君権主義的な意見があったからだ。しかし、かつて河野一郎が浜名湖遷都論を唱えたときは、「高齢の陛下に気候のいいところにうつてもらいたい」とかいって誰もその論理には反対しなかったのだから、東京を政府が離れることを邪魔するための為にする議論だった。
もうひとつは、首都機能移転への反対を和らげるためには、少なくとも同時に移転は避けたほうが無難だという配慮もあった。
世界の例をみると、先述したように、かつてのラオスのように、王都はルアンブラバン、政府はビエンチャンといった例もあったし、江戸時代の日本もそうだったともいえる。
しかし、現実的にいえば、皇族が一か所に集まる必要もない、むしろ、セキュリティ上は分散していて欲しい。いまでも京都御所は元御所でなく現役の御所である。陛下が那須の御用邸におられることは多いし、それが関東以外の場所でも構わない。
マレーシアでは新行政首都プトラジャヤに国王は引っ越してないが、離宮のようなものはある。そもそも、皇室行事はもっと京都も含めた東京以外でしてよいのである。
また「都」という字が皇室と切り離せないという指摘は大阪都構想のときもあったが、これは漢和辞典的な知識というか素養がないだけのことだ。作家である石原慎太郎氏などがそういうことを知らないわけないから、大衆レベルに合わせた議論をされていたのであろう。
そもそも、漢和辞典を見ればわかるが、都という漢字は帝都に限った意味でなく都市の意味もある。
また、東京都の「都」は英語ではメトロポリタンであってアメリカではニューヨークをむしろ指す言葉だ。もともと、京都や大阪と同じ府だったのを東京市と一体化するために改称しただけで帝都であるから区別したのでない。
それから首都という言葉は、近代以前には使われたことがないのだから、首都機能移転後も東京の固有名詞にしてもいい。「近畿」や「みやこ」が京都を今でも指すのと同じだ。
というわけで、そもそも、「首都」とか「都」とかいうことばと皇居は関係ないし、それがなければ「首都」とか「都」でないということはありえない。
文・八幡 和郎
文・八幡 和郎/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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