石原慎太郎元東京都知事が亡くなった。石原氏とは、かつて、首都機能移転をめぐって攻防を繰り広げたのであるが、私たちと一緒に移転実現のために戦った堺屋太一氏に続いて、いわばその好敵手だった石原氏が亡くなったことにひとつの時代の終わりを感じる。

ただし、石原氏は国会議員時代には、移転に賛成だった。のちにそれを指摘されて、内心では反対だったが党の決定なので仕方なく採決では起立したが、中腰に留めたといったが、ビデオに普通に起立す映像が残っていた。このへんは、政治家になりきれず、小説家であり続けた石原氏のことだから仕方ない。
堺屋氏が亡くなったのは、三年前である。その堺屋氏は、首都機能移転の議論が事実上、棚上げになってからは、道州制や大阪都構想に力を入れておられたが、それでも、「いつか首都移転、また本気でやろうな」と最後まで仰っていた。

また、最近、豊橋市を訪れて戦後の遷都議論を牽引した村田敬次郎氏の関係者といろいろお話しする機会があったこともあって、首都機能移転について、かつての議論を集大成し、世界の首都の歴史と現状をまとめ、未来へ向かっての議論を提案するような本を書きたいと思っていた。
それが「世界史が面白くなる首都誕生の謎」(光文社知恵の森文庫)で、今週(2月15日)に発売になるのだが、これは石原氏への再度の挑戦状のつもりだった。そういうときに、石原氏が亡くなったのは、いわば仇を討つチャレンジの機会を失ったようなもので、まことに残念だ。心からご冥福をお祈りしたい。
世界200か国の首都のかたち
世界には200ほどの国があるが、それぞれの国のめざすところは、首都である都市に象徴される。また、どんな首都を持つかで国のあり方は大きな影響を受けている。
パリやロンドンは「花の都」という言葉に相応しい存在だし、北京は全知全能の皇帝たちの都であり天と地の結び目だが経済の中心ではない。
18世紀にはベルサイユのような宮廷都市が流行って、それは、ワシントンのような連邦の首都につながっている。欧米の植民地では港町が統治の中心であることが多かったが、独立後は国土の中心である内陸都市に移転することが多くなっている、
本書では、東西古今の首都や首都移転の歴史を俯瞰し、また、200か国の首都についての詳細なデータを収録した。
「首都とは行政府の所在地」だと高校などで使う地理の教科書や地図帳には書いている。しかし、オランダのように王宮も国会・政府・最高裁のいずれもがハーグにあっても、憲法で首都はアムステルダムだと明記されている国もある。
南アフリカでは、三権がそれぞれ違う都市にある。国会がケープタウン、政府がプレトリア、最高裁判所がブルームフォンテーンである。
江戸時代の日本の首都は京都だったのか、江戸だったのかも難しい。王都と政府所在地が分かれているということでは、かつてのラオスで世界遺産になっている王都ルアンブラバンと政府所在地ビエンチャンが併存していた。
帝王の戴冠式が旧都で行われるのも、帝政時代のロシアでモスクワがそうだったし、戦前の日本ではそれにならって京都で行われていた。南アフリカの大統領就任式はケープタウンだ。
複数の首都も、中国の明帝国における北京順天府と南京応天府といった形で並立したり、平城京に対して難波京を副首都としたという考え方もある。季節によって宮廷や政府が移動することもある。元帝国では夏は旧都カラコルムで皇帝が過ごしたとか、フランコ時代のスペインで夏には政府が大西洋側の保養地で現在はグルメの町として知られるサン・セバスティアンに移っていたことがある。
このように、文部科学省の御用達学者が好き勝手な考えで「首都」とは何かを定義しても、現実の世界では、彼らが決めた意味で使われているのでない。