グローバル教育
私は中学校の成績は悪くはありませんでした。なぜなら学校の程度が低かったからです。それゆえに東京各地から秀才が集まる進学塾で修業をしたのです。塾内の上級クラスに入るためには厳しい選抜があり、それも私は勝ち抜きました。しかし、その塾で何をやったか、といえば記憶を植え付ける作業でした。4-50問ある英語のプリントを解くのに制限時間は一枚5分。それを60分で5-6枚やります。その間、鉛筆の音、先生の厳しい声、「はいそこまで」と言われた時の未練と解放の中、周りを見渡し、塾のクラスメートの顔色をのぞき込む、私が有名私立高校に入るまでのプロセスでした。
私が自分の脳みそを使うことを知ったのは大学生になり海外に行き、刺激をもらい、外交官試験を目指した時からでした。ゼネコンに入社したのち、たぶん私は悪くない道のりだったと思います。ですが、目覚めたのは92年にカナダ駐在で放置プレーをされた時でした。たった数枚のプロジェクト概要だけを渡され、「君、これ、社運がかかる1000億円事業だからよろしく」と言われ、現地に赴任すれば青空駐車場があるだけ。無から有を生み出すには偏差値でもないし、プリントの答えを超高速で処理する記憶装置でもありません。
日経の連載、「グローバル教育・政策を読む」に自民党の下村博文氏が「言われたことしかしないという日本教育の象徴が暗記、記憶中心の『インプット教育』だ」とし、「ゼロから何か生むような創造性やマネジメント能力が必要だ」とあります。その通りです。私もゼロからの想像力でした。日本の教育問題は何十年と変わらない議論をしています。一番簡単なのは進学は学校成績、学校での行動、および入学試験は論述かスピーチ方式に変えてしまったらどうでしょう。塾が不必要になる仕組みにすればよいのです。採点?そんなものはAI審査員にやってもらえれば公平になりませんかね?
後記
今週、2年ぶりに朝食付きセミナーに参加しました。ホテルで50名ほど集まったセミナーに主催側も「リアルで皆さんにお会いできてうれしい」と。セミナーそのものは盛り上がり、キーノートスピーカーは参加者からの質問攻めで回答者が答えられないシーンが出るほど熱気がありました。
リアルで参加するミーティングは人々の声、表情、雰囲気を共有しているため話した内容を非常に鮮明に長期間記憶することができます。これがオンラインなら翌日には9割は忘れてしまっています。私はオンラインの社会はやっぱり馴染めないな、と改めて思った次第です。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年2月12日の記事より転載させていただきました。
文・岡本 裕明/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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