対面会議は本当に「ムダ」か?

この調査結果に、ネット上では「もう対面会議という形式自体に価値はない」という反応が見られた。確かにグダグダと生産性のないおしゃべりや、特定の人物だけが熱弁を振るい、他の人はこっそり内職をするような会議に価値はないだろう。だが、筆者は「対面会議」そのものはムダで、「常にオンライン会議が大正義」などとは思わない。その2つの根拠を述べたい。

まず1つ目の理由は「リアルタイム性」である。高速回線を使ってオンライン会議をすれば、たしかにリアルタイム性は極めて高い。しかし、それでも対面会議にはない小さなラグは存在する。特に大人数が参加する場になると、この小さなラグが参加人数分に掛け算され、大きな差になる。結果、発言タイミングがかぶってしまったり、音声が飛んでしまったりとやりづらさを感じる瞬間はどうしてもある。対面会議ならそのようなラグは一切ない。

そしてもう1つは「集中力」だ。オンライン会議では、画面の向こう側で相手がどれだけよい事を言っていても、意識的コミットメントは対面には絶対に適わない。人によっては、こっそり別ブラウザで内職を始めてしまうだろう。これは、オンライン会議だと手元に意識をそらすスマホなどがあり、カメラの枠外の行動までは監視できず、会議に集中できないためだ。一方、対面会議でスマホをかばんにしまって参加すれば、会議に集中せざるを得ない。対面会議は自由度が小さいのがデメリットに見えて、その実意識のコミットメントを高くするメリットを内包している。ただし、それが肯定される場面としては、有意義な会議が行われているという前提であることは言うまでもない。

このように何でもかんでも、先端のテクノロジーが良いというわけではないと思っている。時には対面会議でやるべき会議もあるだろう。だが、いつの時代も「価値の高い会議」であるのは言うまでもない。不要不急の会議はオンラインでも一切肯定される理由はないのだ。

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「対面会議」はコロナ禍で本当に不要になったのか?
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

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文・黒坂 岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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