黒坂岳央(くろさか たけを)です。

人事のミカタが調査した「コロナ禍でわかった無くてよかったもの」の1位が「対面での会議 45%」だったという。一方、必要になったもの1位は「オンライン会議システム 65%」という結果になっている。

この結果には多くの人が賛同するところかもしれない。だが、個人的には違和感がある。筆者は会社員ではないが、ビジネス取引をする上で今でも企業が開催するオンライン会議に出ることがあり、「大半の会議自体が不要なのでは?」と思わされることも少なくないためだ。また、必要な会議の中にはオンラインではなく、対面でやることに価値があると感じることもある。

「対面会議」はコロナ禍で本当に不要になったのか?
(画像=whyframestudio/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

ムダな会議の筆頭は「説明会形式の会議」

筆者が参加してきた、「これって必要がないのでは?」という会議の筆頭は「説明会形式の会議」である。

事前に資料が配布され、登壇者はそれをひたすら読み上げるというものである。資料の音読をするだけなら、ドキュメントの配布だけで事足りるし、黙読のリーディングは圧倒的に音読より早いので効率面も違ってくる。もしも「資料だけではなく、口頭での補足説明も必要だ」というなら、説明動画を撮影し、そのURLを共有すればいいだけの話だ。視聴者によっては、倍速再生をするだろう。わざわざ、同じ時間に雁首揃えて、会議という場に集まる必然性はどこにもないのである。

特に毎年、同じ説明会をしているなら、質疑応答のデータも蓄積しているはずだ。その場合は過去の説明会で出た質疑応答を、「FAQ」として資料に加えれば、説明会を開く必要性をなくし時間や労力を他の業務にあてることができるだろう。

「会議をする必然性」とは何か?

そもそも、リアルでもネットでも不要な会議はするべきではないと考えている。

筆者の経営する会社では、毎月業務効率化や課題解決を目的とした会議を開く。その際、事前にアジェンダをエクセルオンライン上に「課題内容」「改善案」などとして書き込んでおき、会議当日はその実現可能性や必要性を協議する場にしている。参加者は当日までにアジェンダを読み、個人的な見解を持ち寄った状態で参加するのでスピーディーにドンドン結論が出ていく。「さあ、今日お話するのはこういう課題でして~」みたいなところからから話を始めると、「それってこういうことですか?」など、相互の認識を一致させるための莫大なエネルギーを要してしまう。これはムダであり、わざわざ会議の場でやるべきではないと考えるためだ。会議という時間は、徹底的に「結論を出す」ことに終止するべきであり、課題の認識などはテキスト上で事前に完了しておくべきだと思っている。

話し合って結論を出す行為は、会議以外に代替できないため、会議をする必然性があると感じる。だが、逆にそれ以外のことにムダな時間を使い、労働生産性の平均スコアを下げる必要はないと思うのだ。これは会議の形態がリアルなのか?ネットなのか?ということではなく、そもそも会議を開催する必要性の問題である。