黒坂岳央(くろさか たけを)です。

世の中はドンドンオンライン化が進んでいく。昨今では、メタバースが流行っており、仕事もリモートワークが進んでいく。筆者はコロナ禍までは毎年、ビジネス講演や自主セミナーの開催で東京に行っており、その都度旧友と食事を楽しむ機会にしていたがオンラインへと移行して難しくなった。

また、あらゆる商品・サービスはコモディティ化した。低価格、大量生産で現代人は豊かになったが、その一方でマスをターゲットに作られたものとは、一線を画する贅を尽くした一級品を見る機会は従来より減ってしまったのではないだろうか。

見る目を養いたければ「本物」に触れなさい
(画像=electravk/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

本稿ではコモディティ化、オンライン全盛期の現代こそ本物に触れることの重要性を主張したい。特にニセモノがはびこる世の中を渡る上では、眼力を鍛えることは極めて重要である。

眼力は本物に触れ続けることで磨かれる

筆者の母親の知人に一級の陶芸家がいる。彼は「人間国宝」と呼ばれる芸術家で、NHKなどの番組などに何度も出演する人物であった。ある時、その人物から忘れられない話を聞いた経験がある。「観察眼というのは、本物を見続ける習慣を通じて磨かれる。普段から一流の本物を見続けていれば、いざニセモノの贋作を見せられても瞬時に違和感を覚えることができる」という。

これはクラシック音楽や、美術などの芸術の領域に留まらない。ビジネスや学問の世界でも、その道の一流のプロは明らかに次元というか格式の違いが圧倒的だ。

重要なのはどのような分野でも、師を通じて学びを得て成長をする過程では「本物の実力者に触れること」である。100人の三流より、1人の一流からの方が圧倒的に学びがあるのだ。

本物に触れることで人生観が変わる

具体的な話をしたい。筆者は20代前後の時期に、英語学習がうまくいかず数年間苦しみ続けた。「これで成功できる!」「科学的に効率的」などキャッチーな触れ込みの教材やメソッドは一通り試したが、すべてうまくいかなかった。

だが、ある時「英語を多読する」という地味な学習法に、まるで魂を吸い込まれてしまうような感覚を覚えた。「留学やスクールが充実していなかった明治時代でも、多読で英語を学んだ偉人が存在していた」という状況証拠が、それらしいデータや科学的根拠を示すその他のメソッドを超越する「本物だ」と感じた。全身全霊で取り組み、そこでようやくものにすることが出来た。本物との出会いは、人生を変えてしまう力を持っている。

また、フランスに旅行に行った際に、現地で食べたフランス料理に雷に打たれたような衝撃を覚えた。それまでも、手前味噌ながらそれなりのフランス料理は食べてきたと思っていた。妻のグルメ趣味に付き合い、都内の有名フランス料理は少しは食べてまわったという感覚があった。そのため、「フランス料理といっても、日本人向けにローカライズされた料理を提供する日本の店にはかなうまい」と正直、甘く見ていた。だからこそ、そのあまりのギャップに驚かされた。

この奥底から力強く湧き上がるようなおいしさの正体は? これまで食べてきたフランス料理と一体何が違うのか? 未だその真相は分からないままだ。あれから数年経過したが、今でもあの味を超える体験は出来ていない。

以来、残りの人生で「あのフランス料理をもう一度食べる」という生きる目標が生まれた。他者から見れば大げさでバカバカしい話に聞こえるだろうが、筆者には真剣で重要事項である。それほどの忘れられない衝撃を受けたということだ。願わくばあの名店がパンデミックを生き残ってくれることである。