デンマークと風刺画
2005年から06年にかけて、表現の自由を巡って世界的な大論争が起きるきっかけとなったのが、デンマーク風刺画事件だ。
イスラム教に言及する表現行為が制約を受ける雰囲気に一石を投じるため、2005年9月、デンマークのユランズ・ポステン紙がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載した。
掲載を決めた当時の文化部長フレミング・ローズ氏はこう書いている。
イスラム教徒には近代的で非宗教的な社会を拒絶する者が存在する。彼らは特殊な地位、つまり彼ら自身の宗教上の意識に対する特別な配慮を要求している。このことは、侮辱や皮肉そして揶揄に耐えなければならない、現在の民主主義および報道の自由と両立しない。
イスラム教徒(一部)の価値観と民主主義や報道の自由とを対立する存在として位置づけた。
イスラム教は預言者の描写を冒とく行為とみなすため、デンマーク内のムスリム組織などが反発し、外交問題にまで発展した。
筆者は06年以降数回デンマークを訪れ、関係者に取材した。
ムスリム市民の知識層は「表現の自由は保障されるべき。このような風刺画掲載も含めてだ」という。しかし、「個人的にはムハンマドの描写を目にして、傷ついた」と述べたことが忘れられない。
仏「シャルリ・エブド」事件の波紋

2015年1月、アルジェリア系移民2世のクアシ兄弟がパリにある風刺雑誌「シャルリ・エブド」の編集室を襲撃し、編集長、風刺漫画家、コラムニスト、警察官ら合わせて12人を殺害した。表現の自由という価値観への攻撃例の最たるものとして受け止められた。
同誌は左翼的、挑発的な雑誌で宗教を含むあらゆる事象を風刺の対象とする。テロに対する抗議や表現の自由を訴えるデモがフランス内外で広がった。
風刺画事件は、その後も尾を引いている。
2020年10月、パリ郊外の中学校で、ムハンマドの風刺画を授業で使った教師がチェチェン出身の青年に首を切られて殺害されたのである。
昨年3月には、英国の学校でシャルリ・エブドの風刺画を教師が授業で使い、イスラム組織の数人が学校前で抗議デモを行って注目を集めた。学校側は風刺画の使用を謝罪したが、教師は身を隠さざるを得なくなった。
マクロン仏大統領は先のフランスの教師の国葬の場で、「表現の自由」で認められている風刺画を「止めることはない」、「私たちは自由のための戦いを続ける」と宣言している。
一方、英タイムズ紙の政治風刺画家ピーター・ブルックスは、ポッドキャスト「ストーリーズ・オブ・アワ・タイムズ」(2020年12月31日配信)の中で、風刺画で侮辱する権利を認めつつも、「自分は少数民族を侮辱することを目的としては描かない」、「人種差別的攻撃はしない」と述べている。
英国のメディアはデンマークの風刺画論争の際に問題となった風刺画を直接は掲載しない道を選択した。
フランスをはじめとする対決型と英国のような配慮型のどちらがいいのか。決着がつかないままだ。
読者の皆さんは、どちらの道を選択するだろうか。
(「新聞研究」昨年11月号掲載の筆者記事に補足しました。)
文・小林 恭子/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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