2001年9月11日に発生した米中枢同時多発テロ(9.11テロ)、これに続いたブッシュ米大統領が主導した「テロとの戦争(War on Terror)」は世界にさまざまな影響を及ぼした。
筆者は01年末から英国に移住し、アフガン戦争とその後、そしてイラク戦争開戦に向けた国際社会の分断を報道を通して追体験してきた。
今の20代、あるいは30代半ばぐらいまでの方にとって、9.11テロはベトナム戦争(1970年代)や第二次世界大戦(1930年代末から45年)と同じぐらい、「はるか遠い昔に起きたこと」という認識があるかもしれない。
過去を忘れず、今を読み解くための試みとして、9.11テロの影響を記していきたい。
象徴的な欧州テロが続発
9.11テロやアフガン戦争勃発当時、筆者は日本にいたので、欧州の状況を把握していなかったのだけれども、振り返ってみると大きな分岐となっていた。
欧州では、9.11テロはイスラム過激主義を信奉する人々による複数のテロを立て続けに発生させる誘因として働いた。
同時に、9.11テロを企てたのがイスラム教過激組織「アルカイダ」であったことで、イスラム教徒に対する偏見や怖れを表す「イスラムフォビア」も広がった。欧州諸国ではほとんどの場合少数派となるイスラム教徒の市民(ムスリム)は、窮屈な思いを強いられた。筆者はいくつかの国を訪れ、ムスリム市民の話を聞いた。
言論・表現の自由への挑戦?
一つ、争点となったのが言論・表現の自由という西欧社会が重要視する価値観にゆさぶりをかけるようなテロ事件だった。
例えば、2004年のオランダの映画監督殺害事件だ。
同年11月2日朝、アムステルダム市内で自転車に乗って通勤途中だったテオ・ファン・ゴッホがイスラム教過激主義を信奉する青年モハメド・ブリエリによる銃撃を受けて、倒れた。
ブリエリは監督ののどをナイフで切り裂き、胸を刺した後に長文メモを残した。
ブリエリはモロッコ系移民の2世で、高等教育を受けており、一見、「社会から疎外された」風はなかった。
裁判中に、ブリエリは「イスラム教の名の下で」殺害したと述べている(終身刑、確定)。
ゴッホ監督はイスラム教を侮辱するような言動を度々しており、イスラム教を女性蔑視とする短編映画『服従』を制作していた。
映画の脚本を書いたのはソマリア出身の反イスラム主義者で当時はオランダの国会議員だったアヤーン・ヒルシアリ氏である。ブリエリが残したメモには欧米政府、ユダヤ人、ヒルシアリ氏に対する殺害予告が入っており、同氏は監督殺害事件直後、身を隠さざるを得なくなった(現在、米国在住)。
筆者は事件の翌年オランダの各地で取材したが、「すべてのムスリムがテロリストではない」、「怖がる必要はない」、「表現の自由は束縛されるべきではない」という声が圧倒的ではあったものの、ムスリム市民に対する強い警戒感を感じた。