彼らの共通項は「自死志願」

年齢も生い立ちも異なる彼ら「巻き込み型自死志願者」には何か共通点はないのでしょうか?まず、真っ先に挙げられるとしたら、「自死を願っていた」ということが挙げられるでしょう。

ただ、自死への思いの濃淡はさまざまだったようです。「その現場で…」と願う場合も、「捕まって死刑に…」と受動的な自死を願っていた場合もあったようです。あるいは「現場で…」と意識的には思いながらも、無意識的には「生きたい」と思っていた場合もあったかもしれません。ですが、一時的であったとしても「自死」を望む気持ちで心が占められたのは共通していたようです。

自死を望む心はどうして生まれる?

では、なぜ彼ら「巻き込み型自死志願者」は自死で心が占められることになったのでしょうか?あらゆる生き物は本能的に生き残り子孫を残すことを求めています。進化論だけで考えればそのために生まれてきたと言っても過言ではありません。それなのに、なぜ、自死を求めてしまうのでしょう?

その答えは人生への絶望です。大阪の被疑者は“恐らく”という状況証拠からの推測になりますが、これらの事件の巻き込み型自死志願者は、揃って自分の人生への絶望と諦めを口にしています。

市民が被害に!巻き込み型自死志願者は何想う
(画像=『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

彼らがここまで追い詰められた背景は次回考えたいと思いますが、絶望、つまり何の希望も持てない人生を生き続ける…。おそらく、巻き込み型自死志願者は社会も、世間も、何の希望もない自分には冷たいように映っていたことでしょう。

あなただったらいかがでしょうか? そんな日々を生き抜けられるでしょうか?

私だったら、「自分」を生きることが嫌になりそうです。「もう自分(という人生)を止めたい」と願うことでしょう。

そんなとき、その願いを叶える手段はどこにあるでしょうか? 決して死にたいわけではなくても、私だったら死ぬことしか願いを叶える手段を思いつきません。手段が他にないとしたら…死ぬしかありませんよね。