東京大学大学院情報学環准教授/東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員 開沼 博

3.11以来、処分方針が定まらず棚上げされてきたいわゆる「処理水」(東京電力福島第一原子力発電所で発生した汚染水を多核種除去設備等で処理し敷地内のタンクに貯められてきた水)の取り扱いについては、政府が2021年4月13日に海洋放出の方針を決定し新たなフェーズに移行した。

政府が福島県内外の漁業関係者等への説明・協議を続ける一方、東京電力は国の基準の40分の1未満に希釈した処理水を沖合約1キロの海中に放出すべく、海底トンネルをつくって配管を通す工事の準備を進めている。海洋放出は2023年春ごろの開始が目標とされており、海水希釈は100倍以上を予定しているため、敷地内部に大量の海水をくみ上げるためのポンプの設置工事なども進む。

この行政的・実務的プロセスが積み重ねられていく中、看過されている問題がある。いわゆる「風評」の問題だ。

これまで処理水放出については反対の立場を述べる者の中には、処理水の海洋放出があたかも健康被害が起こるかのような表明をする者が少なからずいた。

例えば、TOKYOFM系列局で月から木曜日に全国的に放送されている『ディアフレンズ』のパーソナリティを10年続け、『東京2020パラリンピック』の開会式に出演しパラリンピック旗入場曲「いきる」を歌った坂本美雨は2021年4月14日、自身のインスタグラムにおいて「放射線汚染水を海に流すと決めた人たちに真っ先に泳いでもらおうか。魚も食べてもらおうか。流したらだめだって子どもでもわかる。ぜったい許しちゃだめ」と投稿し「署名しよう」と自らのファンに反対署名への賛同を促した注1)。

これに対しては「風評被害を助長する」「デマの発信だ」という旨の指摘注2)も相次いだが、明確な説明や謝罪などはない。強い社会的影響力を持つ者、それも「復興五輪」を掲げたオリンピック・パラリンピックの出演者による差別・偏見を助長する発言に対する、被災者をはじめとする風評を懸念する人々の切実な声・思いが無視された形だ。

この事例はあくまで氷山の一角にすぎず、処理水にとどまらない福島の風評加害者の「言い逃げ」の構造は根深いものとなっており、様々な誤解を広く社会に固着させ、被災地・被災者を苦しめ続けている。

ここではそれら風評加害事例の詳細を論じることはしないものの、本当のところ被災地・被災者の間で誰が、何を懸念しているのか改めて確認する。その事実に基づくこと無く、「福島の人は健康被害を懸念している。だから汚染水を海に流すのには反対だ」といった単純化され歪められた虚偽イメージがあたかも真実であるかのように支配的言説として流通することは、議論の混乱と分断を助長することにしかならないと考える故だ。

まず、「誰が」だ。そもそも福島県民の処理水放出に対する賛否がどのように存在しているのか、誰が賛成や反対をしているのかを俯瞰する。

これは2021年11月に福島民報社が公表した、第49回衆院選にあわせて福島県内の有権者を対象に実施した電話世論調査の結果が参考になる。

これによれば、処理水の海洋放出方針については、福島県民全体で「賛成」が40.4%、「反対」が44.2%、「分からない・無回答」が15.4%となっており、賛否は拮抗しつつも、反対が上回っている状況がわかる。

では、どのような人が反対しているのか。同調査は、30代以下と40代以上の間に断絶がある実態を指摘する。つまり、40代以上は反対が多い一方、30代以下では賛成が多い。(「反対」と答えたのが、70歳以上で48.0%、60代で45.9%、50代で44.5%。一方、29歳以下では49.9%、30代では49.6%、40代では46.0%と「賛成」が多い)。

この調査が明らかにした今後の福島を担うとも言える30代以下で「賛成」が「反対」を上回るという実態を意外に思う人もいるかも知れないが、この点と同様に、恐らく通俗的なイメージを覆す事実がある。それは、最も明確に処理水処分方針の決定を求めてきたのが、福島第一原発が立地し、これから急ピッチで住民の帰還や移住者の受け入れを進めようとしている双葉町・大熊町だということだ。

例えば2020年8月、両町の町長は読売新聞の取材に応じて処理水保管の継続が、「危険なものだからそこに置いている」という新たな風評につながり、住民帰還の足かせにもなることなどを理由に早期の処分を求めた注3)。

確かに、福島県内自治体の議会においては処理水処分への動きに反対し継続保管をすべきだとする決議等が出てきた事実もある。特にこの頃はそれが相次いでいた時期でもあった。しかし、それは、「処理水はいずれ処分すべきだが、福島県内でも実際にタンクが置かれているのは双葉・大熊にまたがって立地する福島第一原発の構内だけであり自分のところにはもはや無関係だ。余計な新しい動きをして風評が起こるよりは、何もしないでおいてくれ」という典型的なNIMBY問題的メンタリティを背景に起きた動きでしかなかった。両町長があえて立場を鮮明にしたのはそのような県内の断絶だった。

いずれにせよ、将来を担う若い世代やこれから復興を急ピッチで進めようとしている被災地の中心地で処理水の海洋放出方針への「賛成」の思いが強く、そうではない世代・地域ではその逆になる傾向が浮かび上がってくる。

次に、「何を」だ。処理水の海洋放出に対して福島県民が何を懸念しているのか。

この点については、2021年5月、福島民報・福島テレビが福島県民を対象に行った調査が参考になる。これによれば、処理水の海洋放出による懸念として、新たな風評の発生」が40.9%で最も多く、「県民への偏見・差別」が18.1%、「県内産業の衰退」が12.1%と、7割ほどを占めている。一方、「健康被害」を懸念するのは11.0%。つまり、地元は”処理水の危険性”を懸念しているのではなく、処理水放出によって”差別・偏見や経済的損失の拡大に象徴される風評の拡大”を懸念している。

改めて、先に述べたように「福島の人は健康被害を懸念している。だから汚染水を海に流すのには反対だ」といった通俗的に流布する単純化され歪められたイメージが、事実に反していることは明らかだ。「福島の人」が最も強く懸念しているのは「風評」であり、その再生産・固定化に加担するような差別・偏見を煽るような言動、事実に基づかない風説の流布にこそ苦しみ「反対」している。それが直近の世論調査等から浮かび上がってきている現実だ。

先に提示した、福島民報社の調査によれば、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興に向けて次期政権に最も望む政策を有権者に問うたところ、「風評被害対策」と「トリチウム処理水対策」と合わせて5割近く(「風評被害対策」が26.5%、「トリチウム処理水対策」が19.5%)になった。マスメディアは安易に「復興が遅れている」「復興が終わらない」などというが、まさに、その「遅れていて終わらない問題」が、国内外から福島に対して向けられる差別・偏見だと認識されていることを全国に共有し、またそれを解決するための事実の共有をする努力をどれだけしてきのだろうか。

その点で、改めて共有すべき事実は、福島県外から福島に対する差別・偏見の根深さだ。

三菱総合研究所が2020年7月に実施した「福島県の復興状況や放射線の健康影響に対する東京都民の意識や理解度を把握するためのアンケート第三回調査」では、友人、知人に福島産の食べ物をすすめるのを放射線が気になるのでためらうと答えるのが、23.5%。同じく福島への旅行をすすめられないと答えるのが24.0%。さらに、被曝による健康被害が現世代や子や孫の世代に起こると考え続けている人も4割程度いることが分かっている。無論、被曝による健康被害はこれまでも出ていないし、今後も出る見通しがないことは多くの研究が指摘しているところで、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)等の複数の国際機関が共通して示し続けている見解だ。

福島県外の人々の認識を変えていくことの必要性がいまだに高いという事実に、福島県外からいかに向き合えるのか。処理水問題の本質はそこにある。

ここまで「事実」という言葉を重ねて使ってきた。事実の共有は「福島の復興」はもちろんのこと、個々人の身近なこと・生活上のことから国内政治・国際関係にいたるまで、人々の認識や利害の断絶を埋めながら合意形成や意思決定を進める上では不可欠だ。しかし、2016年にオックスフォード英語辞典が取り上げて以来、広く流布するようにもなった「ポスト・トゥルース」の時代において、事実に基づかないイメージが、事実を蔑ろにしたオピニオンが、事実からかけ離れた「オルタナ・ファクト」をカルト的に信仰しようとするメンタリティが強権を振るい続け、人々は饒舌になっているようでいて、実際には認識・人間関係・その他において狭い世界に引きこもり、自らと違う価値観を持つ者に対して過度に攻撃的になっているようにも見える。

事実の共有、それ自体が困難な時代において、いま何が必要なのだろうか。

その点で参考になるのが、朝日新聞・福島放送が福島県民を対象に例年2月に行ってきた調査だ。

この調査では、”処理水の海洋放出の賛否”を毎年問うてきたが、処理水についての議論が盛んになった2019年から2020年にかけての県民意識の変化を鮮明に描き出している。

具体的に見てみよう。処理水の海洋放出について2018年が賛成19%、反対67%。2019年が賛成19%、反対65%。つまり、ここまでは2割対6割5分。ところが、2020年は賛成31%、反対57%。2021年が賛成35%、反対53%。明らかに賛否の趨勢に変化が起こった。

この変化の良し悪しをここで詳細に論じることはしない。またその変化の理由も詳細に検討すべきだろう。ただ重要なのは、人々の認識が静的なものから動的なものへと変化した瞬間がここに見えるということだ。

この2019年から2020年というのは、2020年3月に私も所属していた、この問題についての有識者会議、いわゆる「ALPS小委員会」の報告書がまとまったことはじめ、処理水を取り巻く状況に大きな変化があった。タンクを設置する敷地逼迫の顕在化、韓国等海外諸国・地域との外交問題化などが明確になったのが2019年から2020年。ただ、この間の最も大きな変化は報道量≒無関心層・中間層への情報流通量の爆発的な拡大だった。福島県民を含むこれまで処理水問題に関心・知識を持たずに来た人の中で、この問題に触れる人が増えた。当然その中で、ことの本質を把握する人々も一定割合生まれた。トンデモ情報の流通も増えたが、真っ当な情報流通の絶対量も確保された。そういった背景のもとで、人々の認識が動的なものへと移行した。これはいかなる立場からでも歓迎すべきことだろう。

情報流通の絶対量を増やし、正確な事実をより多くの人が共有する。そのために、これまでこの問題を行政や有識者に丸投げしていた政治側からのメッセージの発信は不可欠であるし、国民の正確な事実認識の現状調査、あるいは風評の加害行為が誰によっていかになされてきたのか、その再発防止策の検討などこれからなされるべきことは多い。福島復興について「国が前面に立つ」と政府は繰り返してきたが、いまこそそれが求められている。

注3)2020年8月15日読売新聞福島版、全国版紙面

編集部より:この記事は国際環境経済研究所 2022年1月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は国際環境経済研究所公式ページをご覧ください。

文・国際環境経済研究所(IEEI)/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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