高級時計の中には、思わず目を奪われる美しさを放つものが少なくないですが、ユリス ナルダンもそんな時計を手がけるメーカーの一つです。
クラシックなデザインはもちろん、丁寧に作られた文字盤やケースの輝きは、このブランドを知らない人の心も奪うでしょう。
ここでは、スイスの老舗「ユリス ナルダン」の魅力について紹介します。
目次
ユリス ナルダンの解説
伝統的なマリンクロノと美しい文字盤がユリス ナルダンのこだわり
ユリス ナルダンの解説
マリン・クロノメーターと懐中時計の分野で世界を席巻

ユリス ナルダンは、スイスのル・ロックルで1846年に設立された時計メーカーです。ル・ロックルは今でこそ時計製造の聖地として知られる街ですが、18世紀半ばのこの時代はジュウ渓谷の谷あいにあるただの田舎町。ユリス ナルダンは本格的にル・ロックルに時計産業を根付かせたメーカの一つだと言えます。
創業者のユリス・ナルダン氏は、時計職人の家庭に生まれ、マリン・クロノメーターや天文時計製作の専門家であったフレデリック・ウィリアム・デュボア氏やルイ・ジャンリシャール氏から時計作りを学びました。1862年には、ユリス ナルダン製の時計がロンドン万国博覧会で金賞を受賞するという栄誉に輝いています。
18世紀末から19世紀初頭にかけて、ユリス ナルダンが市場を独占するほどの成功を収めたのが船舶用時計の「マリン・クロノメーター」と呼ばれる分野。実に50カ国の海軍に納入されるほどで、世界の軍艦のほとんどがユリス ナルダンの製品に頼っていました。

日本海軍も例外ではなく、日露戦争時代に使われた戦艦三笠には、ユリス ナルダンの1918年製クロノメーターが積まれていました。懐中時計でも世界的に高評価で、ヌーシャテル天文台にクロノメータ認定された時計の過半数をユリス ナルダン製懐中時計が占めていたと言われています。
1908年には、明治天皇とのちの大正天皇がユリス ナルダンの懐中時計を購入した記録が残っています。また、1930年にはセイコーがユリス ナルダンの製品を模倣した懐中時計を製作しました。
のちに”世界のSEIKO”とまで呼ばれるセイコーが、時計製造の目標にしたメーカーがユリス ナルダンでした。しかし、腕時計の時代に乗り遅れたことから、その勢いに衰えが見え始めます。そして皮肉にもセイコーがクォーツ時計を普及させたことによって、ユリス ナルダンは経営危機に瀕しました。
クォーツショックの危機から天文三部作で復活
■アストロラビウム・ガリレオガリレイ

セイコーが巻き起こしたクォーツショックによって、ユリス ナルダンのみならず、機械式時計をメインに製造していたスイスの時計業界全体が苦境へと陥ります。
1983年、投資家のロルフ・W・シュナイダーがユリス ナルダンを買収。ルートヴィヒ・エクスリン博士とともに、「天文三部作」と呼ばれる高級複雑時計を制作してブランドと機械式時計の復興を目指しました。
1985年に製作された天文時計「アストロラビウム・ガリレオガリレイ」は、世界一複雑な腕時計として1989年にギネスブックの表紙を飾ります。そして1988年に「プラネタリウム・コペルニクス」、1992年に「テリリウム・ヨハネスケプラー」を発表して天文三部作を完成させました。
見事に復活を遂げたユリス ナルダンは、その後もシリコン製ムーブメントの開発や、マリンクロノメーターをモチーフにした腕時計を開発し、今なお時計業界における重要な地位に君臨しています。
伝統的なマリンクロノと美しい文字盤がユリス ナルダンのこだわり

時代を席巻した「マリン・クロノメーター」は、現在でもユリス ナルダンのこだわりです。大げさではなく”七つの海”を制したこのブランドの伝統と誇りは、今なお受け継がれています。
現在においてもユリス ナルダンを代表するフラッグシップモデルの名前は「マリーン・クロノメーター」。ダイバーモデルやトゥールビヨンモデルなど、さまざまな仕様に派生しながらもかつての意匠を踏襲しています。

さらに、文字盤の「エナメル装飾」の美しさもユリス ナルダンの特徴。2011年、エナメル装飾を専業とする由緒ある老舗「ドンツェ・カドラン」をユリス ナルダンが買収したことで、世界最高峰の技術を手に入れました。
800~1000度という高温で焼き上げることで美しいガラス皮膜を作る「グラン・フー」や、髪の毛よりも細い0.7mmの金線を使って絵柄を描く「クロワゾネ」など、極めて高度な技法がユリス ナルダンの文字盤に使われています。