JR北海道の路線は赤字路線が多く、道北でも宗谷本線の乗降客の少ない駅が廃止されたり、留萌本線そのものの廃止もささやかれるようになりました。
2016年には留萌~増毛間が既に廃止となっています。
廃止から5年近く経ったその廃線跡は、どんな様子なのでしょうか。
一駅ずつ訪ねてみました。
目次
在りし日を偲ばせる遺構の数々
構造物は消えても、路盤はありました
在りし日を偲ばせる遺構の数々
スタートは、かつては鰊漁や炭鉱の街として繁栄した留萌市の留萌駅。
道内各地方の町と同様に、産業の衰退とともに人口が減り、かつては賑やかであっただろう駅前はシャッターが下りている店舗が多く、寂しい感じは否めません。

線路はここから海側に向かい、大きく左にカーブして海沿いに進みます。
留萌の次の駅は瀬越(せごし)駅でした。
国道231号線から海側に降りた場所に、瀬越駅の待合所とホーム、線路も残されていました。

構内部分には、立ち入り禁止の柵が立てられているので、撮影は柵の外から。

やはり廃線から5年程度だと、駅周りはこの様にしっかりした形で遺されている様ですね。
ちょっと期待を膨らませながら、次の礼受(れうけ)駅へ向かいます。
礼受駅までの間には、臨時駅として浜中海水浴場駅があったのですが、そこは元々駅の設備は無し。
という事で、礼受駅へ向かいました。
貨車駅舎の礼受駅も、酷く錆び付いてはいますが、そのまま遺されていました。

礼受駅は、有人駅時代は木造の駅舎でしたが、その後取り壊されて、元々の基礎の上にこの貨車列車が設置されたそうです。
ここまで2駅とも、構造物が遺っていました。
次の阿分(あふん)駅はどうなってるでしょうか。
構造物は消えても、路盤はありました
阿分小学校跡の裏手にあるのが、踏切と阿分駅のホームだったのですが・・・

残念ながら線路もろとも撤去されてしまったようですね。
踏切があった場所から反対側を見てみると・・・

線路があった雰囲気は、確実に残っています。
う~ん、しかしちょっと残念。
続いては信砂(のぶしゃ)駅ですが、ここもかつてあった待合所、ホーム、踏切、すべて撤去済みで、路盤跡だけが遺されていました。
こちらは待合所とホームがあった側。

そして踏切のあった場所に立って、線路が遺された留萌側を撮影。
線路は歪んでしまっていますが、この大きなカーブの具合が何とも言えませんね~♪

次の舎熊(しゃぐま)駅も駅舎は撤去済み。
ただ、駅舎のあった場所の近くには、撤去された枕木が積み上げられていました。
薪ストーブの燃料にでもなってしまうのかなぁ・・・

残念な感じが続きますが、次の朱文別(しゅもんべつ)駅も何も遺されておらず、路盤跡だけが、ここに鉄道があったことを示していました。

箸別(はしべつ)駅も施設は消えていて、周辺は漁具置き場になっていました。
背後の土手の上が路盤で、そこにホームと待合所がありました。

駅施設関係は残念ながら2019年に撤去されていましたが、留萌側の箸別川には遺構が!!

鉄橋そのものは無くなっていましたが、橋台はしっかりと遺されていましたよ。