
赤嶺真吾(J2:FC琉球)
沖縄県出身の赤嶺真吾。鹿児島実業高校に進んでからFWに転向し、駒澤大学から2005年にFC東京に入団した。2008年4月には日本代表候補合宿に招集され、このシーズンはリーグ戦12得点。ベガルタ仙台に完全移籍して迎えた2011シーズン、翌2012シーズンにもそれぞれ14得点を決めた。ガンバ大阪を経て2016シーズンからは舞台をJ2に移しファジアーノ岡山でプレー。
2021シーズンは地元FC琉球で27試合に出場して3得点を記録。点で合わせる技術に長けたFWだった。最終節の栃木SC戦では決勝点を決め、現役最後の試合を自ら祝うことに成功している。
那須川将大(J3:藤枝MYFC)
北海道出身で小学校、中学校で全国大会に出場した那須川将大。青森山田高校、中央大学から東京ヴェルディに入団した。クロスの精度の高い左SBとして、試合出場を重ねがら栃木SC、徳島ヴォルティス、松本山雅FC、大分トリニータ、藤枝MYFCに所属した。中でも徳島ヴォルティスではクラブ初のJ1昇格の一員となり、2014シーズンにはJ1でも20試合に出場している。
高木和正(J3:カマタマーレ讃岐)
香川県出身、世代別日本代表にも選ばれ、2003年にサンフレッチェ広島に入団した高木和正。層の厚さに阻まれ、広島、期限付き移籍したモンテディオ山形ではあまり出場できなかったが、2006シーズンに当時東海1部リーグ所属だったFC岐阜に移籍して以降は真価を発揮。J2まで駆け上がる一因となり、その後の栃木SC、カマタマーレ讃岐では背番号10を背負い中心選手として活躍。地元・香川県のクラブで8年間プレーするなど、計19年間のキャリアを積み重ねた。
酒本憲幸(J3:鹿児島ユナイテッドFC)
和歌山県出身で、キャリアのほとんどをセレッソ大阪で送った酒本憲幸。2003年に入団し、2016年まで。実に14年間の多くで右翼を担った。2019シーズンには鹿児島ユナイテッドへ移籍し、3年間で90試合に出場。「酒本会」というサポーター団体が存在するほどに愛されたプレーヤーだった。引退セレモニーには乾貴士や柿谷曜一朗らが駆けつけ、背番号にちなみ20回の胴上げが行われている。
尾身俊哉(J3:Y.S.C.C.横浜)
埼玉県出身で横浜F・マリノスユースに所属していた2013年にはU-18日本代表選出された尾身俊哉。トップチームへの昇格はならなかったが、専修大学を経て2018年にY.S.C.C.横浜に入団。2019シーズン、2020シーズンにはそれぞれ4試合に出場。だが、2021シーズンには出場機会を得られず、今シーズンをもって引退を決断した。セカンドキャリアでは第一産業とアスリートとを繋げる活動を行っていくという。
土井康平(J3:いわてグルージャ盛岡)
兵庫県出身。ヴィッセル神戸ユースから、2007年にトップチームに昇格した土井康平。だが2009シーズンに期限付き移籍した水戸ホーリーホックを含め、出場機会を掴めず。2010シーズンから愛媛FCのアマチュアチーム、愛媛FCしまなみに移籍。ここで出場機会得て2012シーズンからはグルージャ盛岡へ活躍の場を移すと、2015シーズンの京都サンガF.C.への期限付き移籍を挟みながら長年守護神として君臨した。
横山卓司(J3:ヴァンラーレ八戸)
福島県出身で、新潟医療福祉大学から2013年に当時東北1部のグルージャ盛岡に入団したGKの横山卓司。その年にチームがJ3に昇格し、2014シーズンからの3年間でJ3の27試合に出場した。2017シーズンからはJFLのラインメール青森に所属。翌シーズンからレギュラーの座を掴み活躍。2021シーズンにはヴァンラーレ八戸に移籍し、Jリーグの舞台に帰還。J3で6試合に出場した。
石田皓大(J3:テゲバジャーロ宮崎)
山口県出身で高川学園中学校・高校を経由。福岡大学から2019年に当時JFLのテゲバジャーロ宮崎に入団した石田皓大。1年目から17試合に出場。2021シーズンにはJリーグ初出場を含む2試合に出場したが、怪我が多かったこともあり20年間のサッカー人生を終え引退を決意した。常にサッカー第一に行動してきた男は、これからもサッカーに関わっていくという。

塩田仁史(J1:浦和レッズ)
茨城県出身で、2004年に流通経済大学からFC東京に入団したGK塩田仁史。2007シーズンに元日本代表の土肥洋一からスタメンを奪い、2008シーズンにはリーグ戦全試合に出場した。だがその後は壊死性虫垂炎や麻痺性腸閉塞を負い出場できない時期も経験し、2014シーズンで退団。
そこからは大宮アルディージャで5シーズン、栃木で1シーズン、そして最後は浦和レッズで、プロサッカー生活を終えた。来季からは浦和レッズのアシスタントGKコーチに就任し、後進の育成に携わる見通しだという。
秋元陽太(J2:愛媛FC)
東京都出身で、2006年に横浜F・マリノスユースからトップチームに昇格したGK秋元陽太。各年代別日本代表を経験したが、プロ1年目に前十字靭帯及び内側側副靱帯を断裂の大怪我を負ったこともありマリノスではあまり出場できず。2012年に愛媛FCへ移籍すると、ここから一気に評価を上げることとなる。絶対的な守護神として2シーズンを送ると、湘南ベルマーレに移籍。J1昇格に大きく貢献し、2015シーズンにはJ1で全試合に出場。翌年にはFC東京に移籍し、ここでも主力を張った。
2017シーズンには再び湘南へ移籍し絶対的守護神として定着すると、J2に降格していたチームはJ1復帰。2018年には湘南初のタイトルとなる、ルヴァン杯制覇に貢献した。2020シーズンにはFC町田ゼルビア、2021シーズンには愛媛FCで出場機会を得ていたが、引退を決断している。
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