普段、当たり前に食している刺身や寿司。日本人にとって必要不可欠な食文化のひとつだが、多くの他国では魚の生食はクレイジーな文化である。とはいえ、江戸時代から続く生食の歴史を紐解けば、先人たちのあくなき好奇心と食欲と研究心で生み出されたものだとわかる。

目次

江戸っ子が生んだ3大人気グルメとは?

古代より牧畜文化が根付かなかった日本では、肉食が禁じられていた時代もあったことから、米などの穀類と魚が主に食されてきた。江戸時代に入ると、海が遠い京都では生まれなかった食文化が新たに江戸で開花したのである。

深川めしに使われるアサリや、ドジョウ、ウナギといった食材をはじめ、マグロなど赤身の魚も多く食されるようになった。日本人のソウルフードといっても過言ではない、魚介を使った江戸で生まれた人気グルメを紹介しよう。

鱻(なま)道が運んだ「あんこう鍋」

男の隠れ家デジタル
(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

「三鳥二魚」と呼ばれた五大珍味のひとつアンコウ。なかなか手に入るものではなかったのだが、水戸藩から皇室に献上された郷土料理で、かの徳川光圀も食したといわれている。

漬けが進化した「ねぎま鍋」

男の隠れ家デジタル
(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

天保以降に食されるようになったマグロ。赤身は醤油漬けで保存されたが、脂の多いトロは腐敗が早く当時は破棄されることが多かった。これを工夫し、ネギと共に煮たものが「ねぎま鍋」の発祥である。

魚グルメの真打「江戸前寿司」

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(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

それまで関西の押し寿司が主流だったが、ミツカン初代・中野又左衛門が赤酢を販売し、ヅケや酢〆の魚を手早く握る江戸前の「握り寿司」が両国の華屋與兵衛によって生み出された。不動の人気者だ。

日本独自の食文化「刺身」が生まれたわけ

日本人が魚を好むのは、四方を海に囲まれた島国だったことが理由に挙げられる。目の前に海がある立地に幕府が置かれ、人々の生活が営まれていくうち、魚をのせサッと握る江戸前寿司が誕生した。

やがて醤油の生産が千葉の銚子や野田で本格的に始まった江戸末期、庶民でも気軽に醤油が手に入るようになり、醤油にワサビを添えた刺身が根付いたのだという。
 

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月岡芳年『風俗三十二相』より「おもたさう 天保年間深川かるこの風ぞく」。大皿に盛られた赤身と白身の刺身が描かれた。(画像=男の隠れ家デジタルより引用)

江戸後期の百科事典『守貞漫稿』には、刺身屋という屋台についての記述が残る。主に江戸前のカツオやマグロを扱い、客は皿持参で買いに行き、好みの刺身を一枚の皿に盛ってもらった。このことから「刺身の盛り合わせ」という形式が誕生したといわれている。

江戸時代から魚の生食を愛してきた日本人。鮮度を保つ方法や、さらに美味しくする方法。研究熱心な江戸の職人たちによって現在の食文化があると思えば、先人たちに感謝したくなるのは当然だろう。

男の隠れ家デジタル編集部
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提供元・男の隠れ家デジタル

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