慢性的な痛みを抱える人たちにとって、現在もっとも有効な鎮痛剤はオピオイドです。
しかし、この薬は中毒性があり、医師からしても好ましい薬とはいえません。
そのため、オピオイドに代わる依存症の起こらない新しい薬の開発が進められていますが、ここで意外な物質が注目を集めています。
カリフォルニア大学デービス校(UC Davis)の研究チームは、南米ペルーに生息するタランチュラの神経毒を利用した新しい鎮痛剤の開発を進めているのです。
神経毒は神経伝達をブロックします。その中には痛みのチャンネルに有効なものがあるというのです。
毒を薬に使う
「医化学の祖」と呼ばれるパラケルススは、「すべてのものには毒があり、毒のないものなどない」と語りました。
私たちが服用する薬とは、基本的に体にとっては毒と変わりがありません。
ただ、その効能が私たちにとって有害に働くか、有益に働くかで、「毒」と「薬」という呼び方を使い分けているに過ぎないのです。
そして服用量によっては薬も毒になると、パラケルススはいいました。
その言葉通り、有効な薬であっても、危険な効能を持つ薬があります。
それが慢性疼痛を患う人たちが使うオピオイドという薬です。
慢性疼痛の定義は、外で働いたり、学校へ行く、家事を行うなどの日常的な活動が制限されるほどの痛みが3カ月以上続くこととされています。
こうした強い痛みに対しては、イブプロフェンやアスピリンといった鎮痛剤では十分な効果が得られません。
そこで活躍しているのがオピオイドという強力な鎮痛剤ですが、残念ながらこの薬は万能ではなく、使用することで徐々に耐性ができていき、使用者が中毒になってしまうのです。
慢性的な痛みを和らげるための非オピオイド系の薬というものも用意されてはいますが、あくまで補完的なものに過ぎず、慢性疼痛を患う人が痛みを抑える選択肢は限られているのです。
米国ではこうした慢性的な痛みを患う人は成人の20%に達するとされています。
医学界では、こうした問題を解決するため、オピオイドに代わる新しいタイプの鎮痛剤の登場が待たれているのです。
そして、今回のカリフォルニア大学の研究チームが中毒性のない治療法として着目したのが、タランチュラの毒を使うというものでした。
なんで毒? と思うかもしれませんが、先に述べた通り、薬と毒は表裏の関係です。
研究を主導するカリフォルニア大学デービス校のブルース・ハモック(Bruce Hammock)教授は次のように語ります。
「クモやサソリは、何百万年もの進化を経て、毒液中のペプチド(アミノ酸が一本の鎖状につながったもの)を最適化させてきました。
痛みや神経機能障害を引き起こす毒物は、同時に神経の働きを良くして痛みを軽減することもできるのです」
長い進化の歴史の中で築かれた、神経に干渉する化学結合を利用しようというのが、この研究の狙いなのです。
痛みの信号をブロックする成分
研究チームが注目しているのは、痛みを伝達させる感覚ニューロンのシグナルです。
この信号を止めることができれば、慢性的な痛みに悩む人たちの問題を改善させることができるでしょう。
そこで、研究者たちは、神経細胞や筋肉の細胞膜に存在する特定の種類のタンパク質「チャンネル」を標的にしました。
これは電位依存性ナトリウムチャンネルと呼ばれるもので、神経や筋肉への信号生成に重要な役割を果たしています。
ヒトには、このチャンネルが9種類確認されています。
ここにはナトリウム(Na)が関連していることから、電位依存性チャンネルはNav1.1~Nav1.9と呼ばれています。
そして、痛みに関する研究者たちがもっとも興味を持っている、痛みの伝達に関わるチャンネルが、「Nav1.7」です。
ここで登場するのが、南米チリで見つかったグリーン・ベルベット・タランチュラ(green velvet tarantula /学名:Thrixopelma pruriens)です。
このタランチュラは、ちょっと挑発しただけで毒毛を飛ばす危険な生物で、ペットとして飼われることはめったにありません。
しかし、この危険な生物の毒に含まれるペプチドには、Nav1.7を阻害し、痛みを含む信号の伝達を妨げる効果があるのです。
ペプチドとはタンパク質の小さくなったバージョンと考えてもらえばいいでしょう。
この毒の魅力について、前臨床治療薬開発を専門とするハイケ・ヴルフ(Heike Wulff)教授は、「Nav1.7をターゲットにした阻害剤の利点は、オピオイドと同様の効果がありながら、中毒性がない点です」と説明します。
ただ、もちろんタランチュラの毒液である以上、ただ利点だけを提供してくれるわけではありません。
この毒液には感覚神経のNav1.7チャンネルをブロックするだけでなく、筋肉や脳を含む全てのNav1.7を阻害する恐ろしい副作用があります。
そのため、研究チームは「トキシニアリング(toxineering)」という手法を用いて、毒液に含まれる毒素の編集をして、痛みのシグナルはブロックしながら、他の好ましくない副採用については発生しないようにしようとしています。
毒を編集する
毒を編集するとは、具体的にどうやるのでしょうか?
ここで活躍するのが、ワシントン大学が開発した「ロゼッタ(Rosetta)」と呼ばれるコンピュータプログラムです。
この複雑なモデリングソフトは、タランチュラのペプチドのさまざまなバリエーションを作成することができ、その設計を元に実験室で合成テストを行うのです。
計算機構造モデリングの専門家であるヤロフ・ヤロボイ(Yarov-Yarovoy)氏は、「ロゼッタを使えば、天然のペプチドを再設計して治療薬にすることができます」と語ります。
すでに研究チームは、モルヒネレベルの有効性を示しながら、オピオイドのような副作用を起こさないバージョンのペプチド開発に成功しています。
ただ、これはまだ予備的な結果に過ぎません。
非常に有望な結果を示してはいますが、まだ多くの課題が残っています。
これを改善させるためには、まず動物実験によって安全性の確認を行い、その後は、実際にヒトに適用して慎重に実験を進めていく必要があります。
研究チームは、この新しい薬が完成するまでには少なくともあと5年は必要だと見積もっています。
研究を主導するハモック教授は、「非常に良いチームを集めることができた」と述べ、きっと痛みを和らげる素晴らしい薬ができるだろうと語っています。
生物が進化する中で作り上げてきた神経毒が、人類にとって新たな薬となる日も近そうです。
参考文献
Turning tarantula venom into pain relief(UC)
提供元・ナゾロジー
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