鍼治療とは、炎症に関連した慢性的な痛みや、その他健康上のさまざまな問題を改善させる数千年も続く中国の伝統医療技術です。

現在はどこ国にも鍼治療の診療所があり、非常に一般的な医療として浸透しているイメージもあります。

しかし、この治療法には科学的根拠がまるでなく、その治療メカニズムもよくわかっていません。

ハーバード大学医学部の神経科学の研究チームは、そんな鍼治療において、電気鍼を使った場合に抗炎症反応を引き起こす神経ニューロンを発見したと報告しています。

果たしてこの発見は、謎多き鍼治療のメカニズムを解明する神経解剖学的な根拠となりうるのでしょうか?

この研究の詳細は、10月13日付で科学雑誌『Nature』に掲載されています。

目次

  1. 科学的根拠がない? 鍼治療の謎
  2. 鍼の効能は科学的に説明できるのか?
  3. 疑惑の多い鍼治療研究

科学的根拠がない? 鍼治療の謎

「鍼治療のツボの正体」を解剖学的に示すニューロンが発見される
(画像=伝説では鍼治療は矢を受けた兵士が偶然発見したという / Credit:The Elder Scrolls V: Skyrim,Bethesda Softworks LLC、『ナゾロジー』より 引用)

伝説によると、鍼治療の始まりは紀元前2600年頃、異民族との戦闘中に矢を受けた兵士が偶然発見したと伝えられています。

その兵士は、矢傷が致命傷になることなく助かりましたが、その矢傷がきっかけで長く患っていた病気も治ったのです。

真偽は不明ですが、それから数千年に渡り、鍼治療は中国の伝統的な医療として継承されてきました。

近代では一時期、廃れていた期間もありますが、毛沢東がこれを復権させました。

また、1972年ニクソン訪中の際に、米国人記者ジェイムズ・レストンが現地で受けた鍼治療によって虫垂炎手術後の猛烈な腹痛が改善されたと記事にしたことで、大きく世界に広まりました。

鍼治療は現在かなり一般にも浸透していて診療所もよく見かけます。

そのため鍼治療とは、医学的に根拠のある神経を刺激して治療する正当な医療行為だと考えている人は多いかもしれません。

しかし、実際には鍼治療のメカニズムは科学的にはまったくわかっていません。

なぜなら鍼治療自身が大真面目に、その治療方法について、鍼治療は人体に流れる「気」の通路である「経絡」に沿って存在するツボ(経穴)に、鍼を刺すことで生命力のバランスを整えて体のさまざまな異常を取り去ると説明しているからです。

この説明を真面目に受け取る人は、現代ではかなり少数でしょう。

「鍼治療のツボの正体」を解剖学的に示すニューロンが発見される
(画像=鍼治療は気の通り道「経絡」に沿ったツボを鍼で刺激することで生命力を整える / Credit:canva、『ナゾロジー』より 引用)

また、人体に流れる「気」と呼ばれるものや、経絡と呼ばれるものに該当しそうな器官も、解剖学的に発見されてはいません。

しかし、多くの人がその確かな治療効果を訴える以上、医学がその意味を見つけ出させていないだけで、鍼には何かがあるのだろう、と考えるのは自然なことに思えます。

そこで、鍼治療の解剖学的なメカニズムを明らかにしようと研究を続ける科学者も多く存在するのです。

今回は、ハーバード大学医学部で鍼治療の研究を行うマー・チォウフ(馬秋冨:Qiufu Ma)氏が、電気鍼治療について、その効果のメカニズムの一端を明らかにしたと報告しています。

鍼の効能は科学的に説明できるのか?

「鍼治療のツボの正体」を解剖学的に示すニューロンが発見される
(画像=電気鍼治療は鍼に電気を流すことで電気刺激によって鍼治療の効果を高めるという現代版鍼治療 / Credit:canva、『ナゾロジー』より 引用)

マー氏の研究チームは、鍼治療においてもっとも基本的な疑問の1つを明らかにしようとしています。

それは「ツボと呼ばれる体の部位に意味を与える、神経解剖学的基礎はなんなのか?」ということです。

それがわかれば鍼治療は正当な医学の1つになれるかもしれませんし、さらにこの治療技術を洗練させることもできるかもしれません。

今回の研究チームは、2014年にも電気鍼治療に関する研究を発表しており、そこでは迷走神経-副腎軸(副腎に信号を送りドーパミンを放出させる経路)が電気刺激で活性化することで、マウスのサイトカインストームを減少させることができると報告されています。

サイトカインとは細胞から出るタンパク質のことで、細胞間に命令を伝達する役割を持っています。

これにはさまざまな種類がありますが、細胞の炎症によってサイトカインが血中に分泌されると、体が異常を感知して発熱や倦怠感などを起こします。

これが重度の全身性炎症によって引き起こされると、一気に大量のサイトカインが放出されるサイトカインストームが発生します。

新型コロナウイルスに関連した症状は、このサイトカインストームに原因があるとも言われています。

炎症に伴う重要な問題であるサイトカインストームを、鍼治療の刺激によって軽減できるのだとすれば、これは鍼治療の医学的効用を示す有力な証拠となる可能性があります。

チームはさらに研究を進め、2020年の研究ではこの電気鍼治療法の効果が、体の領域によって効果が変わることを発見しました。

この研究では、電気鍼治療をマウスの後肢領域に行った場合は効果的だったが、腹部領域に施した場合は効果がなかったと報告しているのです。

チームはこの反応の違いが後肢領域特有の感覚ニューロンにあるのではないかと予想し、それこそがツボの正体かもしれないと考えたのです。

そして、今回、その仮設を調査する一連の実験が実行されたのです。

マウスの腹部と後肢について、調べたところ、彼らは部位によって数の異なる感覚ニューロンを特定することができました。

このニューロンは腹部の腹筋よりも、後肢の深部筋膜組織に3~4倍多く存在していたのです。

「鍼治療のツボの正体」を解剖学的に示すニューロンが発見される
(画像=PROKR2の発現によって特徴づけらた感覚ニューロン。腹部より後肢に多く存在している。 / Credit:Qiufu Ma et al.,nature(2021)、『ナゾロジー』より 引用)

これが問題の感覚ニューロンではないかと考えた研究チームは、次にこの感覚ニューロンが欠損したマウスを作成し、後肢に電気鍼治療を施してみました。

すると迷走神経-副腎軸が活性化しない(サイトカインストームを軽減しない)ことがわかったのです。

つまり発見されたこの感覚ニューロンが、電気鍼治療の効果を示すために重要な役割を果たしていることがわかったのです。

さらにこのニューロンは、後肢の前部筋肉の方が後部筋肉より多く存在していることもわかりました。

そこで後肢の前部と後部でそれぞれ電気鍼治療を行ったところ、前部に行ったほうが強い反応を示すことがわかったのです。

これは電気刺激の効果が、神経線維の分布に基づいて効果的な場所と、効果的でない場所があることを示しています。

こうした結果は、「ツボの位置の意味や特異性について説明する、最初の具体的な神経解剖学的説明となるだろう」とマー氏は述べています。

ここからは、鍼をどこに打つのか? どのくらい深く打つのか? どのくらいの強度の刺激が必要なのか? という鍼治療のパラメータを理解することができるのです。

今回の研究は、マウスに対して行われましたが、ニューロンの基本的な組織構成は、人間を含めた哺乳類全体で進化的に保存されている可能性が高いと研究者は述べています。

今回の発見は、新型コロナウイルスのような過度な全身炎症を伴う感染症の状態を治療したり、炎症性腸症候群や関節炎など慢性疾患の治療法、さらにがん免疫療法の副作用となる過剰な免疫反応を抑えるために、役立つ可能性もあると、マー氏は述べています。

ただ、今回の報告は本当に鍼治療の効能を科学的に示している研究なのでしょうか?

実のところ、鍼治療に関連する研究報告には、いろいろと疑問を述べる人たちも多く存在します。

最後に、この問題について触れておきましょう。

疑惑の多い鍼治療研究

「鍼治療のツボの正体」を解剖学的に示すニューロンが発見される
(画像=鍼治療は本当に治療としての効果はあるのか? / Credit:canva、『ナゾロジー』より 引用)

中国の伝統医療として普及している鍼治療ですが、実際そこに本当に効果があるのかについては、長らく疑問の声が上がっていました。

ある医療について本当に効果があるか明らかにする場合、通常「二重盲検プラセボ対照試験」というものが実施されます。

これは新薬が開発された際、本当に効果があるかを調べるときにも利用される方法で、「本物の薬で治療する患者」と「偽薬で治療した振りをする患者」にグループを分けて、効果の違いを確認します。

こうした実験では、研究者自身が効果を証明したいと思ってやるため、結果にバイアスがかかってしまったり、患者に偽薬とバレてしまう恐れがあるため、医者も患者もどっちが本物でどっちが偽物かわからない状態で試験を行います。

そのため「二重盲検」と呼ぶのです。

こうした試験では、治療にはっきりとした効能がある場合、明確な違いが出ます。

鍼治療の効能に疑問が持たれた際も、こうした「二重盲検プラセボ対照試験」をしようと多くの研究が行われました。

しかし、偽薬と異なり鍼治療は、実際患者に鍼を刺さなければならないため、偽薬にあたる治療を用意することが非常に難しいのです。

そこで、研究者たちは、鍼を鍼治療が主張する「経絡のツボに届かないくらい浅く刺す」、あるいは「ツボからズレた位置に刺す」という方法でプラセボ対照を実施しました。

鍼治療の理論に従うならば、鍼の位置が浅くても、ツボからズレていても効果は出ないはずです。

しかし、この実験を行うためには鍼師の協力を得なければ実現できません。

このため、厳密に「二重盲検」を実施することが難しく、多くの研究があちこちで報告されましたが、かなりずさんな研究報告もあり、鍼治療効能の有効性についてはまったくマチマチな結果になってしまったのです。

つまり鍼治療のプラセボ対照試験による有意差は、科学的に示せていないのです。

こうした状況に対して、2003年にWHOは数多く報告されている鍼治療のプラセボ対照試験研究を評価した総括レポートを作成し発表しました。

『鍼-対照臨床実験に関するレビューと分析』という報告書では、293もの研究論文のデータを検討し、91の症例に対して鍼治療は効果が証明されたと結論付けられています。

「鍼治療のツボの正体」を解剖学的に示すニューロンが発見される
(画像=WHOは2003年に鍼治療の有効性を認めるレポートを発表している / Credit:depositphotos、『ナゾロジー』より 引用)

しかし、このレポートでは、かなりいい加減な研究報告もレビューに含めていて、本当に鍼治療の有効性が示せているのかについて疑問が持たれています。

特に報告書をまとめた責任者が、鍼治療を支持している北京大学統合医療研究所の謝竹藩(シェ・ジューファン)医師という、鍼治療に対して利害関係を持つ人物だったことも問題とされました。

WHOと中国のつながりについては、この辺りでもすでに疑惑が持たれていたのです。

そんなわけで、鍼治療が本当に医療として意味があるのか? エセ科学なのではないか? という疑問は長らく医学研究者の間でも持たれていて、未だに解消はされていません。

今回の報告された研究についても、「そもそも『二重盲検プラセボ対照試験』で有意差が示せていないのに、メカニズムを探る研究に意味があるのか?」 とか、「鍼治療じゃなくてただの電気刺激に対する報告ではないのか?」という疑問の声が海外掲示板redditでは囁かれています。

今回の研究が、重大な発見であったことは事実ですが、研究者の主張する通りに鍼治療のメカニズムが一端でも解明されたかについては、少し疑問が残るかもしれません。


参考文献 Exploring the Science of Acupuncture

代替医療解剖 (新潮文庫)

元論文 A neuroanatomical basis for electroacupuncture to drive the vagal–adrenal axis


提供元・ナゾロジー

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