知恵の実はゴミ箱に隠れていました。

スウェーデンのルンド大学で行われた研究によれば、ヒトとサルを隔てる「知恵の実遺伝子」ともいうべき配列が、これまで意味のない「ジャンクDNA」と考えられていた部分から発見されたとのこと(ヒトDNAの98%はかつてジャンクと考えられていた)。

また人工的に培養されたヒトの脳(脳オルガノイド)から「知恵の実遺伝子」のスイッチの働きをする「ZNF558」を奪うと、ある種の「退化」が発生して、脳オルガノイドのサイズが縮小すると判明します。

しかし、ヒトとサルを隔てる重要な「知恵の実遺伝子」がなぜ、ジャンクDNAに紛れていたのでしょうか?

研究内容の詳細は10月7日に『Cell Stem Cell』に掲載されています。

目次

  1. サルにはなくヒトだけにある「知恵の実遺伝子」を探索する
  2. ヒトの脳オルガノイドから「知恵の実遺伝子」を削ると脳サイズが退化した
  3. チンパンジーの遺伝子に「知恵の実遺伝子」を入れるとどうなるか?

サルにはなくヒトだけにある「知恵の実遺伝子」を探索する

サルとヒトを分ける「知恵の実遺伝子」がジャンクDNAにも埋もれていた
(画像=サルにはなくヒトだけにある「知恵の実遺伝子」を探索する / Credit:Canva . ナゾロジー編集部、『ナゾロジー』より 引用)

ヒトとチンパンジーの遺伝子は極めて似ており、95%程度が一致しているとされています。

しかし遺伝子の類似性にもかかわらず、ヒトとチンパンジーの脳には巨大な差が存在します。

ヒトの脳はチンパンジーに比べて3倍も大きく、脳の細部における細胞の密度や構造にもかなりの隔たりがあるのです。

この著しい差の前では「95%一致」とする結果も、虚しいものになります。

そこで以前から研究者たちは、ヒトとサルの脳を隔てる「知恵の実遺伝子」の探索を熱心に行ってきました。

結果、2020年には知恵の実遺伝子の有力な候補の1つが発見されます。

しかし、この研究による調査では、遺伝子全体の2%のみを占める体の設計図部分をヒトとサルで比較しただけであり、98%を占めるいわゆる「ジャンクDNA」部分は見過ごされていました。

「ジャンクDNA」に存在する遺伝暗号はかつて、何の役にもたたないゴミ情報だと言われてきましたが、近年の遺伝工学の進歩により、ゴミどころか遺伝子発現の制御中枢ではないかと考えられるようになってきています。

そこで今回、ルンド大学の研究者たちは、ヒトとチンパンジーの人工培養脳(脳オルガノイド)を作成し、ジャンクDNAを含めて脳の発達に影響を与える遺伝子を調べる計画を立てました。

ただ生きているヒト胎児やチンパンジー胎児の脳を実験用に使うのは倫理的な問題があるため、実験にあたっては、人工培養されたヒトとチンパンジーの脳(生きている)を、代替品として使用されました。

(※脳オルガノイドは、ヒトとチンパンジーの皮膚細胞をそれぞれリプログラムして万能細胞(iPS細胞)にして、脳細胞へと再変化させることで作られます)

結果、かつて「ジャンクDNA」と呼ばれていた領域に存在する反復配列(VNTR)によって制御される転写因子「ZNF558」が、ヒトの脳オルガノイドで活発に働いている一方で、チンパンジーの脳オルガノイドでは活性がみられないと判明します。

またZNF558の脳細胞での役割を調べたところ、ZNF558の活性は脳細胞のミトコンドリアを増やす効果があると判明します。

2020年に行われた研究では、エネルギー発生装置であるミトコンドリア増加は、大きな脳を維持するのに役立つことが示唆されています。

そのため研究者たちは「知恵の実遺伝子」の効果を確かめるため、人工培養脳を使った実証実験に移ります。

その方法とはヒトから「知恵の実遺伝子」のスイッチとなりえる転写因子「ZNF558」を削る、という内容でした。

ヒトの脳オルガノイドから「知恵の実遺伝子」を削ると脳サイズが退化した

サルとヒトを分ける「知恵の実遺伝子」がジャンクDNAにも埋もれていた
(画像=ヒトの脳オルガノイドから「知恵の実遺伝子」を削ると脳サイズが退化した / Credit:Pia A.Johansson et al (2021) . Cell Stem Cell . A cis-acting structural variation at the ZNF558 locus controls a gene regulatory network in human brain development、『ナゾロジー』より 引用)

反復配列に過ぎないものが本当に「知恵の実遺伝子」なのか?

答えを得るために研究者たちはヒトの人工培養脳(脳オルガノイド)の遺伝子を操作して、ZNF558から生産される転写因子を削除してみました。

すると、脳細胞内部のミトコンドリア数が減少すると同時に、培養初期の時点において、脳オルガノイドのサイズが小さくなっていることが判明します。

ヒト遺伝子にあった「知恵の実遺伝子」の働きを無効化した結果、ある種の「退化」が発生し、ヒトとしての脳サイズを維持できなくなったためであると考えられます。

また興味深いことにZNF558の削除は、脳オルガノイドの早熟を促すことが判明します。

ヒトの高い知能はより長い未熟な脳の状態を維持することで獲得されたという「ネオテニー(幼年期の延長)」説が正しいとするならば、早熟化もまた、脳のサイズ縮小と共に退化の1つの側面なのかもしれません。

チンパンジーの遺伝子に「知恵の実遺伝子」を入れるとどうなるか?

サルとヒトを分ける「知恵の実遺伝子」がジャンクDNAにも埋もれていた
(画像=ヒトとサルを別ける「知恵の実遺伝子」がジャンクDNAに埋もれていたと判明! / Credit:Canva . ナゾロジー編集部、『ナゾロジー』より 引用)

今回の研究により、かつて「ジャンクDNA」と呼ばれていた部分に、ヒトの脳の巨大化をうながした「知恵の実遺伝子」が含まれている可能性が示されました。

この結果は、人間が巨大な脳を獲得した要因が、2%の非ジャンクDNAと98%のジャンクDNAの両方に存在することを示しています。

研究者の1人は「これは人間の脳の進化が、考えられていたよりも遥かに複雑な遺伝的メカニズムであることを示唆します」と述べています。

今回の研究では、チンパンジーの受精卵を実験材料として用いることはできず、ヒトから「知恵の実遺伝子」を削ることで脳の退化を促すに留まりました。

しかし将来的には、チンパンジーの遺伝子に「知恵の実遺伝子」を挿入することで、ヒトに近い脳を持つチンパンジーを作り出せるかもしれません。

【編集注 2021.10.15 12:12】
記事にて「知恵の実遺伝子」の名前を「ZNF558」と記していましたが、正しくは反復配列の「VNTR」でした。ここに修正し、お詫びと訂正をさせていだきます。

参考文献 What makes us human? The answer may be found in overlooked DNA

元論文 A cis-acting structural variation at the ZNF558 locus controls a gene regulatory network in human brain development

提供元・ナゾロジー

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