「湿地遺体(Bog body)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
これは泥炭地(ピートボグ)に埋まって自然にミイラ化した遺体を指し、泥に覆われていたことで酸化や腐敗が防がれ、保存状態が異常に良いのが特徴です。
これまで北欧を中心に数百体の湿地遺体が見つかっていますが、中でも謎に包まれているのが「ヴィンデビーI」です。
ヴィンデビーIは、遺体の状態の良さとは裏腹に、性別や死因、出自について今でも意見が錯綜しています。
ここでは、ヴィンデビーIの謎を追った苦闘の歴史を見ていきましょう。
「ヴィンデビーI」は男性?女性?
ヴィンデビーIは、1952年に、ドイツ北部・シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の町ヴィンデビーで発見されました。
地元住民が、湿地から泥炭を切り出していた際に偶然出土したそうです。
横たわった遺体は、つい最近亡くなったような状態の良さですが、年代測定では紀元前41〜紀元後118年頃のものと推定されています。
発見当初、ヴィンデビーIは14歳の少女の遺体とされ、「ヴィンデビーガール」と名付けられました。
ところが、2007年に行われたDNA解析の結果、男性である可能性が示唆されています。細身な見た目から女性と推察されていましたが、遺伝子が出した答えは男性でした。
しかし、これもまだ断定的ではなく、性別の問題には完全な決着がついていません。
歴史家タキトゥスの文書に謎の答えが
ヴィンデビーIは、目元のバンドと首回りに着衣が見られるだけで、他に副葬品はありませんでした。
目を隠すように巻かれたバンドは、死後に目を隠す習慣があったか、あるいは頭髪を束ねるためのものと考えられています。
後者が正解なら、遺体が時間経過とともに収縮したことで頭のバンドがずれ、目元に落ちてきたのでしょう。
また、ヴィンデビーIのすぐ近くで、別の湿地遺体(ヴィンデビーⅡ)も出土しています。この遺体は明確に中年男性と判明しており、ハシバミの枝で首が絞められ、杭の上に安置されていました。
しかし、ヴィンデビーIとの関係や身元も不明のままです。
その一方で、考古学者たちは、この謎の答えが古代ローマの歴史家タキトゥス(55〜120頃)の文書に隠されているといいます。
タキトゥスの著述によれば、当時、ライン川の北部に住んでいたゲルマン民族には、悪行に手を染めた者を処刑する慣習があり、遺体を杭で湿地帯に打ち込んでいたというのです。
この証言は、地理的・時代的にもヴィンデビーIに当てはまります。
これを受けて専門家たちは、2つの遺体を不倫か何かの罪で処刑されたカップルだと考えました。しかし、ヴィンデビーIが遺伝的に男性であることや2つの生存年代が異なることで否定されています。
死因は他殺でなく、病死だった?
また、タキトゥスの記述は、間接的な聞き取りをもとにした曖昧な情報と言われており、正確性に疑問を持つ専門家もいます。
さらにもうひとつの疑問は、処刑された遺体に見られる外傷がヴィンデビーIには見られなかったことです。
その代わり、遺体には病気や栄養失調に苦しんだ痕跡が確認され、死因は他殺でなかったと見られます。
このようにヴィンデビーIは、発見から現在に至るまで、疑問とそれに対する回答が提示され、そこからさらに謎を呼ぶという流れを繰り返しています。
果たして、彼/彼女の正体が完全解明される日は来るのでしょうか。
ヴィンデビーIは、ドイツ・シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州にある「ランデス・ミュージアム」に展示されています。
参考文献
ancient-origins
提供元・ナゾロジー
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